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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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雑草とは何だ/その2/古典にみる雑草1

歴史を遡って「雑草」の古い記録を探してみた。「古典にみる」と大仰なタイトルが付いているが歴史や古典の素養に乏しいので、実はオドオドしながら書いている。内容については自信がないので、あてにしないように。

源氏物語の藤壺に「月影ばかりぞ、やへむぐらにもさはらずさし入りたる」とある。大体の意味は「月の光だけが幾重にも生い茂っている雑草にも邪魔されずに射し込んでいる」ということらしい。「やへむぐら」は「八重葎(ヤエムグラ)」というアカネ科の植物であるが、訳は「雑草」となっている。これは間違いではなく「ムグラ」「ヤエムグラ」と書くのは実際に生えている草の種類に関わらず、そう表現するのが文章上の常識だったからで、荒れ果てた庭や情景を表す時にそう詠んだという。

「八重葎(やえむぐら)茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」百人一首より
「ヤエムグラが茂っているような寂しい私の住まいを訪れようとする人はいないが秋はやってくるのだ」という意味だろう。この歌でも草の種類を正確に解釈するのではなく、寂しさや侘しさ、荒廃の象徴としての「ヤエムグラ」だ。「ムグラ」「ヤエムグラ(八重=幾重にも重なっている)」が今でいう「雑草」という言葉にあたるだろう。

たった2例でいうのも何だが、平安から鎌倉時代にかけての雑草に対する認識がうかがえる。「雑草」という言葉はないが、その概念はあったようだ。ただ、はびこる雑草に対して苦々しく思ってはいただろうが、その反面、庭をちゃんと維持管理できない今の自分の「あわれな」境遇も詠みこんでいるようだ。またそんな風情を一方では楽しんでいるように思えるのは私だけだろうか。つまり雑草を一方的に責めてはいないということだ。これは当然の事だが、草花を責めてもどうなるわけでもないのである。

ちなみに上記に出てくる「ヤエムグラ」は現在では「カナムグラ」と呼ばれる植物であるとされている。この草はアサ科のつる性植物だ。真っ直ぐ伸びる「ヤエムグラ」より、様々な草が生い茂るところに、さらにつる性の植物がまとわりつくのであるから全体の混乱の度合いは増すだろう。手をつけかねる状態というわけだ。

写真:zassouneko 「チガヤ」
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