インド(もしくは中央アジア、西アジア、ヨーロッパ、北アフリカ)原産の帰化種 1905年に日本定着を確認。1年草 花期は7〜9月 別名はキリアサ(桐麻)、クサギリ、ヒナハギリ
平田町近くの空き地で見つけた。3年前に白壁町の空き地で見かけて以来である。この植物は茎から繊維が取れる。麻と同じようなものだと考えればいい。別名は「キリアサ(桐麻/葉の形が桐に似ているから)」なのだが、「イチビ」はアサ科ではなくアオイ科である。昔は繊維が取れる植物は「〜麻」という名で呼んでいたのだ。植物学的には正しくはないが、繊維として利用できるということからの命名である。利用する者にとってみれば、その植物がどんな役に立つかという目的(繊維)がはっきりした方が話が早いのである。
「イチビ」は史前帰化植物と言われており、大昔から利用されてきた。ならばほとんど在来種である。10世紀頃には「イチビ」という名で呼ばれていたという記録がある。冒頭に「帰化種」と書いたのは、明治の頃に「イチビ」を新たに海外から導入し(荷物に紛れて入ってきたという説もある)、それが帰化しているからだ。この辺りではほとんど見かけないが畑の雑草として有名らしい。特に飼料用のトウモロコシ畑に生えるものには手を焼いているという。
では在来種の「イチビ」はどうしたのだろうかと思う。おそらくどこかでひっそりと暮らしているのではなかろうか。長年日本で生活していたが、改良された海外産が輸入されたので隅っこに追いやられてしまったように思う。
海外産の「イチビ」が導入されたというのは何故なのかという疑問がある。もともと日本に「イチビ」はあったし、「麻」も栽培していたのだ。ひょっとして「大麻取締法」との関連があるのかとも思ったが、この法律ができたのは戦後なので「イチビ」の導入前の話である。おそらく明治期の工業化、合理化による波が、海外の「イチビ」を導入する後押しになったと思う。早く育つとか、収穫時期の違いとか、世話がかからないとか、加工が簡単とかの理由が考えられる。
花は黄色で5弁である。葉や茎に柔らかな細かな毛が生えていて、手触りは優しく心地良い。
実が独特の形をしている。見分けやすい。
こちらは膝上ぐらいの高さ。以前に見かけたものは胸ぐらいまであった。
写真を撮り終えて帰ろうとしたら、何か小さな植物が目についた。これは「ギンセンカ」ではないか。
地中海沿岸(アフリカを含む)原産の1年草 花期は7〜9月 草丈は50㎝前後 別名:チョウロソウ(朝露草)漢名:野西瓜苗 学名はHibiscus trionum L.
「ギンセンカ」も「イチビ」も3年振りである。両者とも白壁町の空き地で出会って以来である。特に「ギンセンカ」には二度と会えないと思っていたので嬉しかった。この「ギンセンカ」も帰化種ということだが、16世紀にはすでに渡来していたようで、それを考えると歴史ある帰化種である。まあ、ほとんど見かけることはないのだが。それに、どういう訳かこの両者は共に「アオイ科」なのである。
3年前に撮ったもの。少し萎んてしまっている。この花は明るくなると萎んでしまうのだ。
東区のこの辺りでは古い建物を取り壊すと、跡地に「イチビ」と「ギンセンカ」が生えて来るようだ。と、決めつけてみる。白壁町の方は他に「トマトダマシ」も生えていた。神戸の大震災の後、更地になった所には「イチビ」と「トマトダマシ」が多く目についたという記述をネットで見かけた。つまり、戦前からある古い建物を壊すと「イチビ」「ギンセンカ」「トマトダマシ」が眼を覚ますのだ。
写真:zassouneko