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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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芝生(しばふ)の意味を間違えていた/2018.11.2

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「芝生(しばふ)」とは「芝が一面に生えている所。また、庭などで芝が植えてある所。」コトバンクより。

つまり「芝生」とは場所のことであって、植物自体を指しているのではないのである。が〜ん。私は「芝生」の意味を間違えていた。てっきり植物のことだと思っていたのだ。ちょっと衝撃である。そういえば今まで生きてきて「芝生」を辞書で調べた記憶はないな。もう少しで意味を間違えたまま人生を終えるところだった。危ない危ない。といっても他にも多々間違えていることがありそうな気がする。まあ、気づかなかったらセーフということで。

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だが、ちょっと疑問もある。今日まで様々な文章に接してきたが、「芝生」が場所を意味するという印象を受けたことがない。意味を間違えて覚えているなら何か引っかかったり、意味の通らない文章に出会っているはずだ。なので「芝生」という言葉が入っている文章を探してみた。引用先は芝生の施工業者のサイトが多い。まあ、「芝生」で検索すればそうなるわなあ。

・「芝生は、日光の良く当たる場所を好みます」。
この文章だと植物自体の意味で使っているようにしか思えない。芝生とは芝が生えている場所であるから、「この場所は陽の当たる場所を好みます」では変である。「芝は日の当たる場所を好みます」なら正解だろう。

・「芝生は日頃のお手入れが肝心です」。
これはどちらの意味(植物、場所)とも取れるなあ。芝そのものの手入れと場所の管理ということだから。

・「なだらかに起伏を描く芝生のじゅうたん」。
これはちょっと微妙な気がする。しばらく考えてみて「なだらかに起伏を描く」が邪魔なことに気がついた。「雲のじゅうたん」という表現があるが、こちらには「起伏」という形容詞がつくことはないだろう。「起伏」があったら、それはただの雲である。「雲のじゅうたん」というからには広く平らでなければならないのである。じゅうたんが波打っていては使いづらいだろう。だから「なだらかに起伏を描く」は無視する。

この「芝生のじゅうたん」はよく目にする表現で、要は「芝生で作られたじゅうたん」ということだろうが、それがひっかかる。そもそも「芝生」とは芝が植えられた場所のことであるから、「場所でじゅうたんを作る」というのはおかしい気がする。「なだらかな起伏を描き、まるでじゅうたんのように見える芝生」なら「芝生=場所」で合っていると思う。つまり、この「じゅうたん」は「芝生」ではなく「芝」でできているのではないだろうか。ずっと平仮名で「じゅうたん」ばかり書いていたので、ゲシュタルト崩壊をおこしそうだった。

・「キレイに刈り込まれた芝生」という表現もある。
うっかり見過ごしてしまいそうだが、「芝生=場所」と考えれば、どこか妙である。刈り込まれたのは「芝」だろうな。「髪を切る」のを「頭をカットする」とも言うが、実際にそんなところをカットされたら大変である。

世間でも「芝生=植物」と思っている場合があるようだ。「どうしたことか」と考えても仕方がないのである。よく「言葉は生きものであり時代によって変化をする」というが、この「芝生」も変化している途中なのかもしれない。それを観察するのも一興である。

写真:zassouneko
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