忍者ブログ

雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


雑草とは何だ/その5/現代人と雑草

雑草は街への参加を許されていないが易々と侵入する。拒絶は人間の一方的な通告であるし、その場所は元々は雑草達の生育地である。街を人工物で覆ったとしても人は自ら緑地を増やし、デザインされた空間に見栄えのよい木や花を植える。そんな場所を雑草は見逃がさない。度重なる攻撃に手を焼く人間達は半ば諦め顔で、青々と繁茂する雑草たちを忌々しく眺めるしかない。人が考える美しい自然の姿を邪魔するかのように生える雑草はやがて人々の嫌悪すべき対象となる。


理想となる美しい街並みの障害を発見した人々は、それを「雑草」と呼んだ。つまり「雑草」とレッテルを貼ってしまえば、何も考えずに排除や嫌悪の対象にすることができる。人と自然との関わりも考える必要もなくなる。なぜなら、ここは都会であるから自然は限定的であり、それならば見苦しい雑草は排除しても何も問題がないからである。貴重な自然を破壊している訳ではないのだから。

「雑草」という受け皿には「花が小さい」「綺麗な花が咲かない」「役に立たない」「見苦しい」「農作物の邪魔」「花粉症の原因」などの人の都合を押し込むことができる。それらの条件が全て満たされて「雑草」が成立するのではなく、個人個人で「雑草」とレッテルが貼れば「雑草」なのである。だから雑草のことなど詳しく知る必要はない。種類や名前を何も知らなくとも、ただ「雑草」と呼べばいいのだ。有益(見た目)と無益の区別が出来れば人は何故だか納得するのである。

写真:zassouneko
PR