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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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ケイトウは贔屓されている

ケイトウ(鶏頭)/ヒユ科/ケイトウ属
熱帯インド(アジア)原産 花期6〜11月 奈良時代に渡来か。漢名:鶏冠花

原産地より唐の時代に中国へ渡来し、その後日本へやって来たと言われている。この草をもたらしたのは遣唐使なのか、それ以外の手段であったのかは不明である。なぜかというと別項の「アオゲイトウ/アオビユ」も見ていただきたい。両者の形は同じだが穂の色が違うだけであるように思える。「アオゲイトウ」は雑草だが、「ケイトウ」と呼ばれると、とたんに園芸種の扱いを受ける。たかが色が赤いだけなのに。

ここで「ケイトウ」ではなく「ヒユ/莧」に限った記録をみてみよう。「ヒユ」は昔の記録によると深江輔仁「本草和名(918年)」と源順「倭名類聚抄(934年)には漢名(中国名)の「莧実」または「莧」に対して 「和名(日本の呼び名)は比由(ひゆ)という」とある。この資料は跡見学園女子大学の「跡見群芳譜」を参考にしているのであるが、ついでに「ケイトウ」も調べてみるが「鶏冠花(漢名)」として渡来したという記録は載っていなかった。

ここで私が言いたいことは次のようなことである。今はヒユ科ヒユ属(例えば「アオビユ」)とヒユ科ケイトウ属(つまり「鶏頭」)を当時は区別していなかったのではないか、ということである。これは私の調査不足かもしれないが、いつの間にかヒユ属(穂が緑)とケイトウ属(穂が赤)という2つに分類されるようになった気がする。それもコッソリと何食わぬ顔をしてだ。その証拠として「ヒユ属」なのに「アオゲイトウ」などという名前が現に付けられている。

ここでお断りしておきたいのは、私は何も義憤にかられて糾弾しているのではない。それどころか、この名前における混乱を楽しんでいるのだ。むしろ面白がっていると言ってもいい。その面白がっているポイントを説明したいと思う。

自然界に存在する、他と区別できる特徴を持つ雑草の一つを誰かが「ヒユ」と呼んだ。似ている草は他にも沢山あるのだが、とりあえず名付けたのだ。そうしないと何も始まらないからだ。そこから「オオビユ」とか「コビユ」や「イヌビユ」、「ネコビユ」と展開していけば良いのだ(断っておくがそんな名前は今は無いのだが、これから出来る可能性はある)。そうでもしないと分類が始まらないからだ。 ところが「ケイトウ」という「ヒユ」とは何の関係もない名前を付けてしまったために、「ヒユ」との名称による関連が無くなってしまい、それが混乱の始まりとなっている。たかが名前である。これを面白がらずに、いられようか。これだから雑草は面白い。

この写真は花屋のすぐ側で撮ったものである。この花屋は花の管理に関しては余り熱心とは言えない。店先に植え込みがあるのだが多種多様な植物が生えており、ケイトウも植え込みに育っている。下の写真がそうである。冒頭の写真は、この植え込みのケイトウの種が運ばれて発芽したものと思われる。雑草は人の助けを借りて増えるような場合もあるのだ。と言うよりは、現在は人々が変わった海外の品種をこぞって庭先に植えるので、そこから増える場合が多いのではないかと思っている。「日本の自然を大切に」と主張するなら、植物のことも考えなければならない。外来種とは動物に限ったことではないのだから。
「ケイトウ」というとぷっくりとした台形の花を思い浮かべる人も多いと思う。あのような形になっているのは、植物に起きる「帯化(たいか)または石化(せっか)、綴化(てっか)」という現象である。まれに起きる現象を品種改良で固定化したものが「ぷっくらとしたケイトウ」である。原因は成長点の異常とか栄養素の過剰とか、いろいろとあるらしい。ネットを閲覧していると、時折思い出したように「放射能の影響か?」などと言って変形した草花が取り上げられたりするが、世界中のどこにでも見られる現象である。落ち着ついてもらいたいものだ。ゴジラが現れたらあわててもいいが。

写真/zassouneko
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