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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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雑草とは何だ/その6/雑草と昭和天皇2

天皇陛下がお怒りになったのは自然に対する無自覚さに端を発しているのは明らかだろう。自ら御田植えをされたりするので雑草の厄介さは理解されている。農家が雑草を抜いたりしてもお怒りにはならない。

つまりどんな場合でも畏敬の念と感謝の心を持って自然に対し、人の価値観で判断するのはしょうがないが(作物が被害を受けるから)、一方的に悪者扱いをするなということだろう。それは自然を善悪で判断するなということであって、「災害=神罰、神意、警告」と考えることはあっても、「災害=悪」とすることは出来ないのだ。なぜなら善悪の概念は人の社会の中でしか通用しないのである。自然に対して「お前は悪を働いた」と宣言することほど、滑稽で的外れなことはない。

侍従長は「御見苦しいから」との理由で雑草を刈った。もとより善意から出た行動であって陛下のことを慮ってのことである。つまり人の都合だけを考えて、雑草の都合など一顧だにしなかった姿勢が、陛下の怒りをかったのであろう。まあ現代では雑草の都合など考える者はほとんどいないだろうが、陛下は考えておられたと思う。なので自然に対する配慮のない行いに不快の念を持たれたのではないか。

昭和天皇を褒めちぎっているような文章になったが、そう見えるのは尊敬語を多用しているせいでもあるが、それは自然という一口に説明できないものに対する理解の糸口を提示した一つの思想への感謝でもある。そして自然に対しての謙虚な姿勢は天皇一人が担うものではないのだ。

ここからは空想だが、先の侍従長が草刈りの際に、スミレの花などを気をきかせたつもりで刈り残しておいたのならば、もっとお怒りになられたのではないだろうか。それとも侍従長の心配りを考えて沈鬱な表情と共に沈黙なされたであろうか。

写真:zassouneko 「スミレ」
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