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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

「とうがらし」を「唐辛子」と書いたのは誰だ?/その3/七味編

あの「トウガラシ」を「唐子」でなく「唐子」と最初に漢字で書いたのは誰なのか。

おかしなことを言い出したな、と思われるだろうがこれには訳がある。以下の文章をお読みいただきたい。
「おでんに欠かせない辛子、うどんに欠かせないのは唐辛子である。」
おかしなところはないように思われるだろう。では次の文章はどうであろうか。
「おでんに欠かせない芥子、うどんに欠かせないのは蕃椒(南蛮胡椒)である。」
お分かりだろうが「辛子」という字が使われていない。この「カラシ」は本来は「芥子」で、「とうがらし」は「蕃椒」なのである。それなのにいつの間にか「辛子」という字が使われるようになった。もともと日本語になかった漢字なのに定着してしまったのだ。そこが謎である。この漢字がいつから使われるようになったのか調べているのだがさっぱり分からないのである。

我々が「トウガラシ」として最も親しんでいるのは「七味唐辛子」だろう。1625年に江戸の薬研堀(やげんぼり)で中島徳右衛門(なかじまとくうえもん)が「からしや」という屋号で創業し、そこで売り出したのが始まりだという。中島徳右衛門は漢方薬を研究しており、その成果が「七味唐辛子」である。当時は「七味唐辛子」と書いて「なないろとうがらし」と読んでいたらしい。大変な人気を博し将軍家にも献上されたほどである。しかも当時の将軍家光に気に入られ、名前の「徳」の字を賜ったという。ちなみに中身は「生の唐辛子、焼いた唐辛子、芥子の実、麻の実、粉山椒、黒胡麻、陳皮」の7種である。この後「七味唐辛子」は全国に広まるが、中身が微妙に違うのが面白い。元祖と違って「青のり」が入っていることが多い。

人々に受け入れられたのは単純に美味しいということもあるだろうが、漢方薬としての一面もあったのではないか。今ではただの香辛料であるが、対面販売の場合などは中身の割合を変えることができる。つまり体調に応じた薬の調合である。それもあって評判になったのだろう。

さて、先程からずっと「唐辛子」と漢字表記しているのであるが、当時からその漢字を使っていたかどうかは疑問である。記録があれば調べたいのだが。1712年の「和漢三才図会/寺島良安」によると、この植物は「番(蕃)椒」で載っており、解説に「俗に云う南蛮胡椒は今に云う唐子」とある。「唐子」ではないのだ。

現在、「七味唐辛子」の老舗と呼べるお店が三軒あるという。前述の「中島商店(商店がついた)」、京都・清水の「七味家本舗」、長野市・善光寺の「八幡屋礒五郎」である。この長野の「八幡屋礒五郎」の記録が「善光寺繁昌記(1878年)/長尾無墨 著」に載っている。「七味唐辛子」の誕生から200年以上経っており、しかも明治時代の書物であるが幸いにもデータがあったのだ。現代の「八幡屋礒五郎」のホームページも参考になった。それらによると善光寺の境内に小さな机を出して商売をしていたようで、その場で調合して袋に詰めて売っていたらしい。ホームページには袋の写真があり、そこには「唐がらし」と書いてある。「 唐辛子」ではない。そして「善光寺繁昌記」には「売番椒(とうがらしうり)」とある。「番(蕃)椒」と書いて「とうがらし」と読むのである。何も不思議ではない。「桜桃」と書いて「サクランボ」と読んでいるではないか。
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