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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

セイヨウカラシナ/その2/芥子は「カラシ」である。「ケシ」ではない

セイヨウカラシナ(西洋芥子菜)/アブラナ科/アブラナ属
外来種 1年草 花期は4〜5月 草丈は50〜120㎝ 学名:Brassica juncea(L.)Czern. 別名:セイヨウカラシナ 中国名:芥菜 英名: indian mustard、brown mustard

「芥子」は「カラシ」である。「ケシ」とも読めるが、それは「罌粟(ケシ)」とイコールではない。「芥子(カラシ、ケシ)」と「罌粟(ケシ)」という、たまたま同じ読み方になってしまった別々の植物である。「芥子」は「カラシ」なのだから「ケシ」と読む必要がないのだが、きっかけになった言葉がある。小さなことを強調する表現である「芥子粒」である。この言葉は仏典から来ている。以下に記す。

妙法蓮華経 提婆達多品 第十二」より
◎智積疑難(智積の疑難)[是別執]
智積菩薩言。我見釈迦如来。於無量劫。難行苦行。積功累徳。求菩薩道。未曾止息。観三千大千世界。乃至無有。如芥子許。非是菩薩。捨身命処。為衆生故。然後乃得。成菩提道。不信此女。於須臾頃。便成正覚。

あー長い。四文字づつ区切ってあるのは、お経を読みやすいようにしてあるのだろう。それはそうと、ここに書かれた「芥子」とは「カラシナ」の種のことであるという(跡見女子学園大学 跡見群芳譜「カラシナ」より)。「ケシ」と読んでもいいが、実体は「カラシナ」である。

次に「源氏物語(1008年頃)/紫式部」を紹介する。六条の御息所の生霊が怪異を引き起こす。第九帖「葵」の第二章である。
第四段:「〜近き御几帳のもとに 入れたてまつりたり。むげに限りのさまにものしたまふを、聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、大臣も宮もすこし 退きたまへり。加持の僧ども、声しづめて法華経を誦みたる、いみじう尊し。」
第五段;「あやしう、我にもあらぬ御心地を思しつづくるに、 御衣なども、ただ芥子の香に 染み返りたるあやしさに、御ゆする参り、御衣着替へなどしたまひて、 試みたまへど、なほ同じやうにのみあれば、わが身ながらだに疎ましう思さるるに、まして、人の言ひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、心ひとつに思し嘆くに、いとど御心変はりもまさりゆく。」

古典はさっぱりなので訳を見ながら解説する。つまり「法華経の僧が護摩焚きの際に芥子も燃やしたので着物に匂いがついた」である。端折り過ぎたかな。興味がある方はきちんとした現代語訳をお読みいただきたい。さて、皆さんもすでにお気づきだろう。「法華経」「芥子」とくれば、この「芥子」とは「カラシナの種」のことであって「罌粟(ケシ)」ではないのである。

一説によると「罌粟(ケシ)」が渡来したのは室町時代だという。それが正しければ紫式部の時代に「罌粟(ケシ)」は存在しない。「慶應義塾大学学術情報リポジトリ」では1007年に「ケシ(罌粟)」が渡来とあり、源氏物語の記載がその理由になっているが、どうなんだろうか。ただ、この「室町時代渡来」という記録を私はまだ見つけていない。 しググらねば

遅い時期に咲く花は虫たちにとっては救いの神だ。気温が低いせいか動きも鈍く、近づいても逃げない。これが彼にとっての最後の食事かもしれない。邪魔をしないでおこう。

写真:zassouneko
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