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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ススキ/私考:なぜ「お月見」に使われるのか/その2

ススキ(薄)/イネ科/ススキ属
在来種 多年草 花期は7〜8月 別名はオバナ(尾花)

「お月見」には「団子」と「ススキ」が欠かせない。だが、この「ススキ」をいつから供えるようになったかとか、なぜ「ススキ」であるかの理由がサッパリ分からない。「その1」で書いたように稲の収穫がまだ済んでいないので、その「代用としてのススキ」ということは考え難い。なぜなら収穫の時期は来ていないが稲は生えているのだから、それを使えばいいのだ。未熟な稲穂を供えるという無礼を避けたとも考えられるが、食べられもしない代用品の方が失礼だろう。あるサイトに「稲の豊作を祈って稲穂に似たススキを供えた」という話が載っていた。原典が分からないので何とも言えないが、それならば未熟な稲穂を供えればよいのではないか。「豊作祈願」ならば耕作を始める時期に行うような気がするのだが。

また、「ススキ」の白い穂を「白髪」に見立てて長寿の願いを込めたのではと考えたが、さすがにこれは無理がある。長寿の願いはお正月のお節料理で充分だろう。それに「白髪」に見立てるなら「ススキ」より「オギ」の方が適役だ。


「ススキ」と「月」の組み合わせは絵になる。いかにも秋という雰囲気がする。だが「ススキ」は節句の「七草、桃、菖蒲、笹、菊」などの植物と比べるとあきらかに格が落ちる。節句の植物たちには長い歴史や物語があるし、「長寿」や「邪気を払う」といった役割も与えられているが「ススキ」にはそれがない。役に立つといえば茅葺き屋根の材料になることぐらいだろうか。つまり「ススキ」は単に季節感を表すイメージなのである。「お月見」の行事に重要なのは「供物」の方なのである。

ここで「芋」が「団子」になった理由を考えてみる。とりあえず理由を2つ思いついた。一つは収穫時期である。今と昔では違うのかもしれないが、現在の「芋類」の収穫時期は10月に入ってからである。そうなると「お月見」に供える芋は未成熟なものとなる。それをもって「収穫に感謝」とは、ずいぶんと気が早過ぎるのではないか。 もう一つは都市部の拡大である。農村部と切り離された地域では農業は行われないので、そうなると「収穫祭」としての「お月見」ではなく、年中行事としての「お月見」になる。ならば実際の「収穫物」としての「芋」ではなく、それに似せた「団子」でも構わないのではないか。 農家でもないのに「収穫物」として「お供え物」にするのは、行事の主宰者としての 正当性に欠けるのである。行事に参加をする資格を有する者は生産者である。ならば、その他の者は「団子」を代用とするしかあるまい。子供達も「芋」より「団子」の方がうれしかろう。 だが「団子」では季節感に乏しい。そこで「ススキ」が季節感を出すために必要になったのだ。

さて、これを書いているのは11月の中旬である。「お月見」の時期に合わせて書いていないのには理由がある。実はこの近辺で見かける「ススキ」は10月の中旬から穂を出すのである。これでは「お月見」に間に合わない。以前の「ススキ」の記事を見返してみたら、やはり11月に書かれたものだった。「ススキ」の花期は7〜8月だと書いてあるが、なんでこんなに遅くなるのだろうか。地球温暖化の影響か。と書いたところで、この「地球温暖化」という言葉、思ったより昔から使われている。つい先頃、CATVで放送された「空の大怪獣ラドン(1956年/東宝)」を見ていたら、劇中に「地球温暖化」というセリフがあった。つまり60年以上前から「地球温暖化」は話題になっていたのである。

写真:zassouneko
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