タツナミソウ(立浪草)/シソ科/タツナミソウ属
在来種 多年草 花期は5〜6月 草丈は20〜40㎝
写真は春に撮影したものだが、その時には名前が分からなかった。最近になって「シソ科」を詳しく調べている際に、この花を偶然に見つけたのである。ではあるが、植物のサイトに載っている写真とは何となく違って見える。似たような外来種かもしれないという疑いが消えない。
「立浪草」とは、この花の形が「波が砕け散る様」に見えるからというものだ。いつ頃から「立浪」という名前で呼ばれるようになったのかを「跡見群芳譜」で調べたのだが、名称に関しての情報は何も載っていなかった。このサイトは古い時代の植物の名前が載っているので、とても重宝しているのだ。ここで分からないとなるとお手上げである。さて、この結果を踏まえて(調査が適当でいささか乱暴だが)、10世紀頃は「タツナミソウ」と呼んでいなかったと考えたい。では、いつ頃からそう呼ばれるようになったのだろうか。
砕け散る波頭のデザインで真っ先に頭に浮かぶのは、江戸時代後期の浮世絵師である葛飾北斎の「富嶽三十六景/神奈川沖浪裏」であろう。北斎の浮世絵の代表作ともいえる作品で海外の評価も高い。だが「タツナミソウ」とは形が違うし、「立浪」はもっと以前からあった。それは「家紋」のデザインの一つのジャンルとして存在しているのだ。「荒浪」「対浪」など20種近くある浪(波)をモチーフとした家紋の中に「立浪」もある。そのデザインは「タツナミソウ」の形そのままである。
この家紋が使われ始めた正確な時期は調べていないが、おそらく江戸時代以前の武士が台頭してきた時代のどこかだろう。敵味方の区別が必要となった戦国時代では家紋は目印の役目を負う。実際に「浪」の紋を使っていた武将が16世紀にはいるようだ。それはそうとしても一つ疑問がある。それは「立浪」は「家紋が先か、花の名が先か」という問題だ。つまり「家紋の『立浪』を似たような形をした花の名にした」のか「タツナミソウの形から『立浪』の家紋が生まれた」のかである。だが、これ以上は調査を進める気はないのでここで終わりである。「家紋」にしろ「花」にしろ、波の一瞬の姿をあの形として認識し、作品として後世に伝えた事実は変わらない。人はこのようにして新たな表現を次々と手に入れてきた。それは「芸術」でも「マンガ」でも同じだ。そして我々はそれを安価で簡単に享受できるのである。
改めてこの花を眺めると、同じ「シソ科」の「ヒメオドリコソウ」や「ホトケノザ」にどことなく似ている。そこに気づかなかったとは、つくづく観察力が足りないなあ。ところで、外来種かどうかの問題は次の方法で解決した。「タツナミソウ 販売」で検索して出てきた商品を確認したのである。英語名やカタカナ表示がないので販売しているものは在来種だと判断した。しかし「タツナミソウ」は何種類もあるので、そのどれであるかは私には分からない。一般的な「タツナミソウ」ということでお願いします。写真が2枚しかないのには訳がある。園芸種だと思ったので真面目に撮影しなかったのである。申し訳ない。
写真:zassouneko