セイタカアワダチソウ(背高泡立草)/キク科/アキノキリンソウ属
北アメリカ原産の帰化植物 多年草 花期は8〜10月 高さは1〜2.5m
日本へ最初にやって来たのは1900年頃(明治の中頃)だという。観賞用という話もあるが、養蜂業者がミツバチのために輸入したという説の方が有力である。秋は花の数が少ないのでミツバチが蜜を集めるのが難しい。そこで、晩秋近くまで咲く「セイタカアワダチソウ」の出番である。現在ならミツバチの巣箱ごとトラックで運んで花のある場所まで移動できるが昔はそうはいかない。「セイタカアワダチソウ」を巣箱の近くに植えておけば、秋も深まるまで蜜が採れるのである。
ミツバチの蜜は古来より利用されてきた。「日本書紀」にも記載があり、大変貴重なものとして朝廷への献上品にも入れられた。739年に日本の対岸の渤海国から贈られた献上品にも熊や豹の毛皮、朝鮮人参とともにハチミツがあったという。江戸時代になって養蜂が始まり、明治辺りから技術が確立されて盛んになってくる。明治になって外国の知識が入ってきたのもあるし、国内での研究も進んだ。海外から蜜蜂まで輸入していたそうである。ちなみに「ミツバチの8の字ダンス」の意味を解読したオーストリア人科学者「カール・フォン・フリッシュ」は1973年にノーベル賞に輝いている。
「セイタカアワダチソウ」の被害が目立ち始めたのは昭和40年代である。その時代背景から「ベトナム草」と呼ぶこともあったという。これは明治に輸入されたものではなく、戦後の物資に紛れ込んでいたものだという。20年の時を経て全国で爆発的に繁殖を開始したようだ。
背丈は3m近くはある。肥沃な土地だと4mを超えるそうだ。
こちらは胸の高さほど。栄養が少ないのだろう。
「セイタカアワダチソウ」は根などから成長阻害物質を放出し、他の植物が繁殖できなくする。これをアロレパシー(他感作用)という。また背が高くなるので日光を遮ってしまい、背の低い植物の光合成の邪魔をする。こうした戦法で勢力を拡大してきた。ところが、この成長阻害物質は土中にいくらかは残るようで、周りが「セイタカアワダチソウ」だらけになってしまうと、この物質の分解が追いつかず、ついには自分自身の成長が阻害されるようになってしまった。
こうして「セイタカアワダチソウ」の繁栄の時代は終わった。だが、油断はできないのである。すぐ上に「物質の分解が追いつかず」と書いたが、それが分解されてしまえば再び「セイタカアワダチソウ」の出番である。
「シジミチョウ」の仲間が蜜を吸っている。秋の貴重な食料である。
今でもよく「セイタカアワダチソウ」は目にする。黄色くて派手だから目立つのだ。たまに3m近くに育ったものもあるが、ほとんどは人の背丈ほどである。おとなしくしているようだ。未だに花粉症の原因植物として目の敵にされているが誤解である。彼らの花粉と蜜は秋の虫たちのものである。
写真:zassouneko