コスモス(秋桜)/キク科/コスモス属
メキシコ原産の帰化種 1年草 花期は8〜10月 草丈は20〜120㎝ 別名は「アキザクラ」「オオハルシャギク(大春車菊)」
日本への最初の渡来の記録は1862年である。ヨーロッパに行った文久遣欧使節が持ち帰った200種以上の種の中に「コスモス」が入っている。「コスモス」がメキシコからヨーロッパに渡り、そして日本へという流れである。なぜヨーロッパに使節団を派遣したかというと、通商条約の締結の延期を談判しに行ったのである。通商条約とは黒船のペリーのアレである。この条約は米国との間だけでなくヨーロッパ各国とも結ぶことになっていたのだが、皆さんご存知のように日本国内はその当時ゴタゴタしていたので条約締結どころではなかったのだ。
「キバナコスモス」の1種。
「コスモス」という名称は学名からきている。意味は「飾り」である。この植物は奇妙なポジションにいる雑草だ。大量に植えられて観光施設の目玉になるかと思えば、雑草として空き地や荒野にも咲いている。弱々しい見かけと「秋桜」という別名もあって、歌や俳句にも取り上げられている。日本で大成功を収めた植物の一つだろう。花の色がピンク系統、オレンジ系統の1年草、チョコレート色の多年草があり、それぞれにたくさんの品種が作られている。
上と同じ場所で6月下旬に咲いた白い「コスモス」。ピンクの花を品種改良してできたそうだ。上の2枚とも地面の表面が砂地の場所に生えている。
今から半世紀ほど前のことである。まだ幼かった時分、名古屋市の端っこに住んでいた。周りは山だらけで(今見ると丘だが)、トイレは汲み取りで家庭排水はドブ川に流し、そして道路は未舗装の砂利道であった。夏になれば道を横切る大きな蛇に登校の邪魔をされたり、雨が降れば道にできた水溜りにカエルが卵を産み付ける。今ならド田舎といってもいい環境だ。だが、土地に起伏があったので畑や田んぼはなかったように思う。そんな場所でも開発の手が入り始める時代だ。ある日、近所の山が崩されて3段ほどの宅地になった。おそらく散歩の途中だったろう、母と二人で赤土まじりでゴロゴロとした石が目立つその宅地に立っていた記憶がある。そんな荒れ地に「コスモス」だけが咲いていた。丘の上だから見晴らしはいい。時刻は夕方で、あたりは薄暗くなってきており、そこに夕陽がさしていたような気がする。
「コスモス」は今まで取り上げてこなかった。このブログは雑草はもちろんのこと、園芸種の帰化したものも取り上げてきた。それなのに、なぜだか「コスモス」には触手が動かなかったのだ。わざわざ取り上げるものかなという意識があった。何でだろう? 帰化種の雑草にしては派手だが、群落を作るほど咲いていても雑草の見苦しさや圧迫感はない。1本だけ咲いているのを見ると、弱々しそうな本体と薄幸そうに見える花にどことなく哀愁が漂っている。だが、人の見かけとは別に「コスモス」は強い植物である。人が保護しなくても日本で咲き続けるだろう。
タイトルはコスモスの花言葉の一部を借用した。コスモスの花言葉は「乙女の純潔・乙女の真心・美麗・調和・謙虚」だそうだ。私は花言葉なんぞになんの関心もないのであるが、たまに考えさせられる時もある。「皮肉」にしてはよくできていると思うのだ。
訂正&加筆(2016.10.10):タイトルの変更と文章を一部加筆しました。
写真:zassouneko