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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ヒガンバナの謎/その2/再評価から流行へ

ヒガンバナ(彼岸花)/ヒガンバナ科/ヒガンバナ属
中国原産の帰化種 多年草 花期は9月 草丈は30〜50㎝ 漢名は「石蒜(セキサン)」 学名:Lycoris radiata Herb.

さて、素人の妄想はまだ続くのである。「ヒガンバナの謎/その1/クローン」で提示した出来事は紀元前に起こったものだと考えている(根拠はない。勘である)。この「その2」は「その1」の内容を無視しても成り立つ話である。また関連付けても問題ない。冒頭の写真は「シロバナマンジュシャゲ」。「シロバナヒガンバナ」だと「バナ(花)」がダブる。

当時の「ヒガンバナ」は利用価値もなく(食べられない)、繁殖もままならない(球根で増えるしかないので移動距離が短い)存在である。それでも「ヒガンバナ」はどこか目立たない場所でひっそりと咲き続けた。そして人は「毒があるから危険だ」という忌避すべき対象としての記憶だけを残して「ヒガンバナ」のことを忘れてしまったのだ。

「出雲国風土記」「古事記」「日本書紀」「万葉集」「古今集」「竹取物語」「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」「新古今和歌集」「徒然草」「芭蕉句集」「奥の細道」。ざっと調べただけだが、これらの古典の中で「ヒガンバナ」が登場するのは「万葉集」だけで、それも一首しか見当たらなかった。あれほど派手な花なのに不思議である。だが、人々が「ヒガンバナ」の価値を見出す時は近づいているのだ。

ここで補足を。「ヒガンバナ」を連呼しているが、その名前になったのは近年のことである。19世紀初頭の「本草綱目啓蒙」では日本各地での呼び名が50余りも紹介されている。その中で「ヒガンバナ」と呼んでいるのは肥前(九州の上の方)だけである。

いつの時代かは不明であるが「ヒガンバナ」を田の畦道に植えると、その根で畔を補強し、またネズミやモグラなどの小動物の害を避けることができると人々は気付いた。そして当時土葬中心だった墓を守るための有効な手段ともなった。人々はこぞって「ヒガンバナ」の球根を植えた。つまり人が繁殖の手助けをしたのだ。「ヒガンバナ」の復権の日が来たのだろうか。

「ヒガンバナ」が表舞台に返り咲いたと見るのは早計だ。墓の周りに植えられたことで「ヒガンバナ」には負のイメージがつきまとう。また、血の色を思わせる花びらの赤、それに葉がないのに花だけが先に開花するという特異な性質も薄気味悪さを助長した。仏花として「菊」が定着したように、 埋葬後の死体に寄り添うような役割を与えられた「ヒガンバナ」は否応なしに宗教の周辺に位置することとなった。 人々が最も見たくない現実(死体)を埋葬という形でようやく隠微したのに、「ヒガンバナ」はその存在を天下に示すように咲くのである。

時は移り「ヒガンバナ」は「墓守り」や「畔の管理」から解放された。宗教的禁忌はなくなり、自由になった「ヒガンバナ」に新たに観賞用としての役割が与えられた。日本各地の土手などに盛んに植えられるようになったのだ。モグラなどは避けるだろうから土手の強化にもなるだろう。一石二鳥と言える。

さて、「めでたしめでたし」で終わったように見えるが気になることもある。昨今の「ヒガンバナ」ブームはいささか過剰ではないだろうか。町おこしの意味もあるだろうが、あんなに植えなくともいいと思うのだ。観賞用の花には流行り廃りがつきものである。長い歴史のある「桜」とは違うのだ。
全体が真っ赤ではなく、花の縁(ふち)が白い。新しい品種だろうか。

最後に「小ネタ」を。「ヒガンバナ」も次々に新しい品種が生まれており、100種以上あるという。「リコリス」などと呼ばれることもあるようだ。ところが「リコリス」というと「リキュール」の材料や不味そうな「リコリス菓子」が頭に浮かぶ。おいおい「ヒガンバナ」が材料かよ、と思ったが違っていた。「ヒガンバナ」の 「Lycoris」は学名だが、お菓子の方の「licorice」は英語で「マメ科の甘草」のことを言うのである。早合点した。


写真:zassouneko
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