ヒガンバナ(彼岸花)/ヒガンバナ科/ヒガンバナ属
中国原産の帰化種 多年草 花期は9月 草丈は30〜50㎝ 漢名は「石蒜(セキサン)」 学名:Lycoris radiata Herb.
中国の長江(揚子江)の南部あたりが原産地で、日本への渡来時期は不明で史前帰化植物とも言われている。稲の原産地もその辺りなので一緒に日本にやって来たのかもしれない。漢名の「石蒜」で検索をかけると中国のサイトの「ヒガンバナ」の写真を見ることができる。見た目は日本のものと同じである。当たり前か。さて、以前(2015.7.2)にも書いたと思うが、日本の「ヒガンバナ」は遺伝子の構造(でいいのかな)が3倍体で種ができないという。ということは今の日本に生えている「ヒガンバナ」はクローンなのだ。通常は父方と母方からくるので2倍体となるし(または2の偶数倍)、人間も2倍体である。そして中国の「ヒガンバナ」も種ができる。
さて種はできているのだろうか。
なぜ日本の「ヒガンバナ」だけが3倍体なのだろうか。考えられる可能性を考えてみた。
① 突然変異で3倍体になったものが偶然日本にやって来た。
おそらく種か球根の形で渡来したのだろうが、変異した1本だけを偶然持って来たとは思えないし、また持ってきたもののすべてが3倍体だったということは考えづらい。
②日本で3倍体に変化した。
つまり日本で3倍体の最初の種が生まれたわけだ。この種を蒔くと3倍体の花になるが、もう種を作る能力は無くなっているので、あとは球根で増えるしかない。だが、日本で開花した花の全てが3倍体の種を作るとは思えない。それに元の球根は2倍体のままである。そこから成長した花が次々と3倍体の種子を作るとは考えづらい。つまり偶然できた3倍体の種は、2倍体の花が消えてしまった理由の説明にはならない。2倍体の方が生存に圧倒的に有利である。
どうもスッキリしない。とにかく日本には3倍体しかないのであるから、逆に2倍体が消えてしまった理由を考えてみる。
③2倍体だけが疫病にやられた。
これも理由としては弱い。環境の変化に対応できるのは遺伝子の多様性を発揮できる2倍体の方である。
④人為的に3倍体を残し、2倍体を排除した。
これも不可解な理由と言える。球根で増えるとはいえ、わざわざ種の出来ない方を残すのはおかしい。
さて、ここから素人の迷推理の始まりである。③はともかく、①②④には別の視点を提示することができる。
これが「アスパラガス」のように食用にできたらなあ。
2倍体から3倍体は生まれにくいが、2倍体と4倍体が交配すると3倍体ができる。中国の「ヒガンバナ」が2倍体かどうかは知らないが、ここからは「もしも」という仮定の話である。中国産を仮に「2倍体」にするということだ。丸数字は前述の項目との対比である。
①中国から渡った時に4倍体の「ヒガンバナ」が混じっていた。おそらく渡来は1回のみではなかったろうから、何百年経つうちに4倍体のものがやってきたのだ。だが、これは無理がある。中国に4倍体の「ヒガンバナ」があったとしたら、中国のものが今も2倍体のままである説明がつかない。
②実は日本に4倍体の「ヒガンバナ」があった。もしくは中国とは別の場所から渡来した。①と被るが、この説も3倍体ができた理由にはなるが、2倍体が消えてしまった理由にはならない。
③は否定しづらい。3倍体にのみ病気に対する遺伝的優位性があるとは思えない。
④人が2倍体のものを食べ尽くしてしまった。これは③とも関係があるが、現在ある3倍体の根には毒(リコリン)があるが、すりおろして何度も水にさらせばデンプンとして食べることができる。この手法は後年の知恵であろうから、当時の2倍体はそのまま食べることができたのではないか。3倍体だと毒にあたるのだ。毒の少ない2倍体を食べ尽くした結果、毒の多い3倍体だけが残ったのだ。えっ、どうやって区別をつけたかって? 種ができなければ3倍体であるからそれで見分けたのではないか。この仮説を証明する方法はある。中国の2倍体の「ヒガンバナ」を食べてみればいいのである。責任は持たない。食うなよ、食うなよ、お前ら絶対食うなよ。
くだらない話につきあっていただいてお礼を申し上げます。申し訳ありませんがこの話はまだ続くのです。次は「ヒガンバナ」の歴史を考えてみたい。素人考えですが。
写真:zassouneko