スズメノヤリ(雀の槍)/イグサ科/スズメノヤリ属
在来種 1年草(多年草としているサイトもある) 花期は4〜5月
連休中ということもあり、久しぶりに久屋大通り公園に行ってきた。この公園は、繁華街である栄を南北2㎞に渡って貫く久屋大通りの中央分離帯にある。中央分離帯といっても100m道路(実際は100mもないが)のそれなのでかなり広い。北は名古屋城の外堀から始まり、南は東西を走るもう1本の100m道路である若宮大通りに直角に接している。また有名なテレビ塔もこの公園の中に建っている。公園と道路の境には街路樹が植えられ、その下を西洋木蔦が覆う。このような整備された公園は、私のような者にとっては興味を引かない場所ではあるが、実
際に見もしないでアレコレ言うのも何だし、休日でもあることから重い腰を上げたのである。公園の北の端からテレビ塔の手前まで散策したが収穫はなかった。この公園の雑草も近所の空き地に生えているものとさほど変わらないのだ。仕方なく帰ろうとして信号待ちをしていたら見慣れぬ草が視界に入ってきた。それがこの「スズメノヤリ」である。
「スズメノヤリ」とは「雀が持つ槍」のことであるが、いささか妙な表現である。まず槍にしては先端が丸い。それに雀の体格と比べてもずいぶんと大きいように思う。雀に持たせる槍なら他にふさわしい草があるはずだ。「雀のための槍」という表現は許そう。それはそれで可愛いじゃないか。
この「槍」とは江戸時代の大名の参勤交代の際に、先頭付近で「奴(やっこ)」が持っている羽根で装飾した「毛槍」のことをいう。「下に〜下に」の掛け声とともに進んでくる大名行列の先頭付近にあるアレである。通常、「槍」というと2m前後のものを想像しがちであるが、昔の「槍」は6mもあったという。これは主に戦の最前線にいる足軽が使うものだったが、それほどまでに長くなると振り回すことは不可能で、真っ直ぐ突くことしかできない。だが、そうやって最前線を崩すことによって二番手の突入を容易にしていたのだ。「奴」とは「足軽」や「中間」という武家の使用人のことを見下していう言葉であるが、彼らが長い槍を持って戦の最前線で戦ったのだ。雀の大きさと対比しても長すぎると思われる「スズメノヤリ」も、「奴」の持つ槍のことだと思えば納得できる。戦国の世が終わり、争いのない時代の参勤交代は格式と威厳を求められるようになった。格式といっても要は大名達の見栄の張りあいのことであって、その過程で「槍」に装飾が施されていったのだろう。最前線で突撃する役割を担った「槍」は参勤交代でも先頭に立つが、攻撃的な意味はすでに消え、パフォーマンスの一つとなっている。歌川広重の代表的な浮世絵「東海道五十三次/日本橋」にも参勤交代の様子が描かれているが、そこに「毛槍」もある。
この植物は以前は「スズメノヒエ」と呼ばれていたようだが、同名の「スズメノヒエ」が「イネ科」にもいるので、新たな名前を与えられることとなった。これらのことを考えると「スズメノヤリ」という名前が付いたのは、江戸時代になって、しばらく経ったころであると推測できる。「毛槍」という参勤交代に伴うパフォーマンス用の小道具が登場したのは、参勤交代の制度ができてから、しばらく経ってからのことだからだ。18世紀頃には、このパフォーマンスが派手になりすぎて、幕府から注意を受けたという話もあるようだ。話は変わるが、「毛槍」は今も売られており、ネットの通販で手に入る。そんなものをいったい誰が買うのかと不思議に思うのだが、日本各地には大名行列を模した祭りが多くあるので、おそらくそれらで使われるのだろう。
この草を見つけた時には花期をだいぶ過ぎていたようで、すでに実が茶色になっている。青々とした状態のものを見たければ来年を待たなければならない。ここに来るのが少し遅かったか。
訂正(2016.5.22):「カヤツリグサ科」と表記していましたが、正しくは「イグサ科」です。訂正してお詫び申し上げます。
写真:zassouneko