マツヨイグサ(待宵草)/アカバナ科/マツヨイグサ属 学名:Oenothera stricta Ledeb. ex Link 漢名(中国語):待宵草 花の色は黄色
ツキミソウ(月見草)/アカバナ科/マツヨイグサ属 学名:Oenothera tetraptera 漢名(中国語):四翅月見草 花の色は白
一目瞭然、学名が違うので別の花である。学名の意味を調べる気はないが(面倒だし、どうせたいした意味ではない)、文字を見りゃ違う花だと誰でも気付くだろう。(上のデータはいずれも「GKZ植物事典」より。またウィキペディアにも記載があるが(2016.4.26現在)、掲載している花の色はピンクである。月見草の花は開花するとピンク色に変化するという。)
上の写真が「マツヨイグサ」だと思う。海外の無料画像サイトより。
上記の説明で終わってしまう話であるが、それでは物足りない。なぜ「マツヨイグサ」と「ツキミソウ」が同一視されるような事態になったのかを考えてみたい。まず、両者とも江戸時代の末期1851年(嘉永4年)に観賞用として渡来したとある。同時期である。ひょっとすると同じ船に乗っていたのかもしれない。黄色の花の方が「待宵草」、白い花が「月見草」である。「ツキミソウ」の花は白いのである。こんな簡単な事実にたどり着くまでに随分と手間がかかった。そうなった原因は「マツヨイグサ」や「オオマツヨイグサ」の別名を「ツキミソウ」と紹介しているサイトがほとんどだからである。「待宵草」と「月見草」は似たような雰囲気や意味を持つ言葉であるが、本来は別々の花のことを指す。別名ではないのだ。
「マツヨイグサ属」は日本には自生しておらず、今あるのはメキシコ周辺の南北アメリカ原産の帰化種である。アメリカ大陸生まれであるから「matsuyoigusa」などという名前ではあるはずがない。そして、その名前を誰が付けたにせよ、漢字を使う国の者が名付けたことは明らかである。中国でも「マツヨイグサ」は「待宵草」と書くから、やはり中国から名前が来たのだと考えがちであるが、日本から名前が向こうに伝わる場合もある。中国でいう「ヒヤシンス=風信子」の漢字は日本が元になっている。「待宵草」と日本で名付けた可能性もあるのだ。
他の「マツヨイグサ属」の名前を比べてみた。渡来した年代の古い順に載せていきます。当然、一番最初は江戸末期に渡来した「マツヨイグサ」であるが、これは両国とも「待宵草」であるから問題はない。その後、明治の初めに渡来した「オオマツヨイグサ(大待宵草)/写真なし」の中国名は「黄花月見草」である。注目すべき点は、元々の「月見草」の花は白いので、ちゃんと「黄花」とことわりをいれている。つまり「通常とは違う黄色の花の月見草である」と説明しているのだ。抜かりはない。いっぽう日本は「大きな待宵草」だ。単純だな。分かりやすいともいえるが。ところで、埼玉県本庄市の「市の花」は「月見草」であるようだが、市のHPを見てみると「月見草=オオマツヨイグサ」としている。つまり日本の名称は正しいが、中国名からは「黄花」を抜いてしまったのだ。おそらく、こうしたことが繰り返されたせいで、「ツキミソウは黄色の花だ」という認識が作り上げられていったのだろう。
写真は「ユウゲショウ」(たぶん)
次は明治から大正の頃に渡来したといわれている「ユウゲショウ(夕化粧)/上の写真」で中国名は「粉花月見草」だ。おいおい日本名に「マツヨイグサ」や「ツキミソウ」のカケラもないぞ。続けて「メマツヨイグサ(雌待宵草)/写真なし
」がやって来た。中国名は「月見草」である。あれ?なんか変だぞ。これでは元々の「月見草」の立場がないじゃないか。「黄花」をつけなくていいのか? 「メマツヨイグサ」の花は黄色だぞ。せっかく前段で中国の対応を褒めたのに。
写真上「コマツヨイグサ」、写真下「ヒルザキツキミソウ」(だと思う)
さらに大正の末期に渡来したのは「コマツヨイグサ(小待宵草)」と「ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)」だ。「昼」に「月見」とは変だが、月は昼間に出ることもあるから間違いではない。中国名はそれぞれ「裂叶月見草」、「美麗月見草」である。漢字の意味が分かるような分からんような。「美麗」と名付けるとは、中国も名前のネタがなくなってきたようだ。そんな名前を付けると他の月見草から苦情が出るぞ。美の基準はどこにあるのかと。
こうして見ていくと中国(待宵草の時代は清だが)は最初の「待宵草」以外は全部「月見草」で一貫している。この植物のアイデンティティを「月見草」を中心に展開させようとする意思を感じる。対して日本は「ツキミソウ」と「マツヨイグサ」の間を行ったり来たりしているようだ。これが「和」の精神というところだろうか。良く言えば「調和」だが、どっちつかずの「日和見」ともとれる。そこにいきなり「ユウゲショウ(夕化粧)」の登場である。こういった新たな表現の導入は文化に豊かさをもたらすが、基本を理解していないと混乱に拍車がかかる。
いろいろと話しが横道に逸れたが、そろそろ結論を出さねばならない。それは白い花でないものを「ツキミソウ」と呼ぶのは正しいとは言えず、「◯◯ツキミソウ」なら合っているということである。元々の「ツキミソウ」の白い花が、あまりにも例外的な存在だったからである。
日本人が「待宵草」にこだわったのは、竹久夢二の「宵待草(ヨイマチグサ/マツでなくマチである)」で表現したような女性像を好んだからではないか。それは平安時代の文学にも見られる、男の到来を屋敷でひたすら待つ女のパターンと同じである。だが、これは今でいう妾、2号、不倫、浮気の類いである。恋しい人がやってくるからこその「夕化粧」なのだろう。今ならそのまま出勤するのかもしれないが。私には日本人がそこに何を見出していたのかはサッパリ理解できないが、竹久夢二が下衆なのはわかる。別稿でも竹久夢二を悪く書いたが、それは彼の行動が面白かったからで怒っているわけではない。私も下衆なのか。なにやら最近(2016年)は、いたいけな少女でさえ「ゲスが極まっている」と騒がしいようだが、ゲスも極めると平安文学のような芸術に昇華されるのであろうか。興味ないけど。
写真:zassouneko