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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ヒメムカシヨモギ/その1/佇む巨人

ヒメムカシヨモギ(姫昔蓬)/キク科/ムカシヨモギ属(イズハハコ属)
北アメリカ原産の帰化種 2年草 花期は8〜10月 体高は1〜2m(写真のヒメムカシヨモギは軽く2mを超えている)

1867年に国内での帰化を確認をしたという記載がありました。ちなみに1867年の12月は3日しかなく、その翌日には旧暦から新暦の切り替えが行われて1868年の1月1日になりました(明治元年)。大混乱の師走だったことが想像されます。そのせいかどうか分かりませんが、全国のお役人(公務員)の12月の給料は無かったことにされたようです。まあ12月になったら即正月休み扱いということでしょうか。ペリーが来航してから1年後の1854年には日米和親条約が結ばれて、鎖国から開国という流れになりました。その結果、物資の出入りが盛んになり、外国からも様々な物が運ばれてくるようになります。そんな中で、この雑草は非意図的な侵入だろうと推測されています。観賞用とは思えませんし、牧草として利用されたような記載もありません。他の牧草に紛れ込んだか、荷物にくっついていたのでしょうね。

追記&訂正(2016.1.1):旧暦、新暦のとらえ方があやふやな記述になってしまいました。新暦に切り替わった日は、旧暦の11月16日です。広報などで知らされてはいたのでしょうが、11月の中旬がいきなり元旦になるということは、日本人の季節感に重大な影響を及ぼしたのは確かでしょう。「11月16日か、正月まで1ヶ月半だな」という時間感覚でいたでしょうから。
明治維新の頃から、あっという間に全国に広がっていったので、目まぐるしく移り変わる世の中を象徴するような名前が付けられました。メイジソウ(明治草)、カングンソウ(官軍草)、ゴイシングサ(御一新草)、サイゴウグサ(西郷草)、ヨガワリグサ(世代わり草)、テツドウグサ(鉄道草)などです。最後のテツドウグサですが、日本の鉄道の正式な開業は1872年に新橋・横浜間が開通して幕を開けました。また東海道線は1889年開通です。線路が延びるにしたがって沿線に増えていった見知らぬ草を「鉄道草」と呼んだのでしょう。

「ヒメムカシヨモギ」と「オオアレチノギク」は似ているので区別がつきにくい。そんな理由もあって今まで手をつけずにおいたのであるが、そろそろ片付けよう。下の写真を見ていただきたい。左が「ヒメムカシヨモギ」で、右が「オオアレチノギク」である(アレチノギクの可能性もあるが)。
通常ならば右の写真のように、中心の茎から出ている部分は上は短く、下の方にいくほど長くなるという形になる。上の部分が大きくなると下部に日光があたらなくなってしまう。なので花のある部分は全体として見れば三角錐のような形になる。ところが「ヒメムカシヨモギ」は、そんなことには無頓着なようで、勝手気ままに伸びていく。

その他の違いもある。葉は両者ともいわゆる「柳葉」であるから見分けはつきにくいので、この判断方は却下。だが花が少し違う。「ヒメムカシヨモギ」は白い花びらが小さいながらも開いた形をとる。だが「オオアレチノギク」は花びらの白い部分が押し出されてきたなと思っても、そのまま開くことなく終了である。次に見る頃には綿毛になっている。また全体の色が違う。「ヒメムカシヨモギ」は濃い緑(深緑)であるが、「オオアレチノギク」は黄緑色のくすんだ色合いだ。まあ色に関しては微妙なところである。まだ成長途中であるとか、それぞれに個体差があるとか、また環境によっても変化するので一概に判断できないのである。

写真の植物は柵のある私有地の真ん中あたりに生えていたので、間近に寄ることが出来なかったが、とにかく大きい。2mを軽く超えている。柵があるのでアングルが限られてしまい、陽の当たった背景の色が「とんで」しまった。使用しているのは10年以上前のデジカメである。お許しいただきたい。少しフォトショで補正しました。

写真:zassouneko 撮影:2015.10.02
訂正&追記:(2015.11.17)「SF小説が現実となる日」から題名を変更しました。
訂正&追記:(2015.11.19)追記したら長くなったので「その1」「その2」と分けました。
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