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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ススキ/幽霊と謎の行事

ススキ(薄)/イネ科/ススキ属
在来種 多年草 花期は7〜8月 別名はオバナ(尾花)

最初にお詫び申し上げます。この植物が本当に「ススキ」なのか自信がありません。なにしろ咲く時期が遅すぎるのだ。11月の中旬になろうとしている。それに「オギ」のような気もするし。話によると「オギススキ」というハイブリットもあるらしい。それなのかな?うーん、よく分からん。違っていたら申し訳ない。上の写真の一番高い穂で1m30cmほどです。

秋の七草
「ススキ」は万葉集の山上憶良の歌で有名な「秋の七草」の一つである。今では「七草粥」の「春の七草」の方が知られているが、現在の「春の七草(セリ、ナズナ等)」に決まったのは「秋の七草」より、うんと後の話である(一説には江戸時代)。だいたいにおいて山上憶良は「春の七草」については何も言っていないので、春と秋の「七草」を並列に扱うのはおかしい。「春」は食べることに視点が置かれており、「秋」は季節を表す代表的な草花だ。観賞に主眼を置いた「春の七草」は決められていないのだ。

幽霊の正体見たり
と、きたら「枯れ尾花(=ススキ)」と続けるのが日本人の常識である。怯えている者は風に動くススキの穂でも幽霊に見えてしまうという諺である。薄暗い夜に見るススキの穂は、この世に恨みを残した死者の白髪か、などと余計な解説を加えてみる。私は怪談好きなのだ。

ススキと幽霊
以前は「柳の木と幽霊」はセットにされ、典型的な表現として盛んに利用されたが、もう流行は終わってしまった。残っているのは「歌舞伎」などの伝統芸能の中だけだろう。柳の下の幽霊は一般的ではなくなってしまった。

ススキの根元に「ナンバンギセル」という植物が生えることがある。この植物はキセル(煙管)の形をしており、吸い口を地面に突き刺したようにして生えている。キセルの形が分からなければパイプの形と言いかえてもいいだろう。口の部分が花で葉は無い。葉がなくては光合成が行えずエネルギーを作りだせないが、この「ナンバンギセル」はススキの根に寄生しており、そこから栄養をもらっている。その影響でススキが枯れてしまうこともあるそうだ。「ナンバンギセル」の実物を40年以上昔に一度だけ見たことがある。「ナンバンギセル」が1本だけススキの根元に咲いていた。高さが7〜8cmほどで全身が真っ白だったのを覚えている。ススキの下には小さな幽霊が佇んでいるのである。
上の写真は根元の部分。ススキの特徴の一つである根茎から分岐している様子がうかがえる。残念ながら「ナンバンギセル」は生えていない。
お月見は謎の行事
ススキとくれば「お月見」である。そこでお月見の由来を調べてみたが、どうもはっきりとしない。日本には「節句(せっく)」といって「季節の節目」に行事をとりおこなった。1月7日の「七草の節句」、3月3日の「桃の節句」、5月5日の「菖蒲の節句」、7月7日の「七夕」、9月9日の「菊の節句」である。お気付きだと思うが11月11日はない。寒いので(新暦だと12月になる)、季節感のある適当な植物が見当たらなかったのかもしれない。江戸時代には幕府の正式な行事として休日に定めていたという。そうなると行事には料理がつきもので、それを節句料理といった。七草は「七草粥」、桃の節句は「菱餅」や「白酒」、5月は「柏餅」や「ちまき」、七夕は「素麺(知らなかった!)」、9月は「菊酒(何だそれ?)」である。奇数の並びが多いのは「縁起がいい」と考えられていたからだ。1月1日がないのは、その日は年の初めで特別扱い(正月料理は「御節」)としたので、そのために7日にずらしたのだ。

ここに「お月見」は入っていない。それなのに「菊の節句」を押しのけて9月の代表的な行事におさまっているようだ。「菊酒」より「月見団子」の方が万人に受けたのかな。「お月見」は中国が起源だという説もあり、なんだかんだで今の形になったらしい。「ススキ」を飾るのは「稲穂」の代わりという説(昔は10〜11月に収穫していたというや、邪気をはらうという説も見かけた。古代中国では、ただの「観月会」であったものが、日本でも催されるようになってからは「ツクヨミ(月の神)」や「収穫祭」などの情報が付与されるようになっていく。行事や祭には名目(理由)が必要であるが、もともとは「月見」にかこつけた宴会である。「月見」に理由など無いと思うのだが、逆に考えればどんな名目でもつけることができる。結果、何だかよくわからないまま今に至っている。だいたい収穫の感謝を表すのに、肝心の稲が間に合わないとは残念な話である。どうしても稲を供えたかったという気持ちはわからないでもないが。まあ宗教的行事に合理的な説明を要求するのも野暮な話である。純粋に収穫に感謝する行事と捉えればよいだろう。

素人の浅知恵でいろいろと書きなぐってきたが悪意はない。面白がっているだけである。それにしても残念なのは旧暦から新暦への移行である。仕方がないこととはいえ、世界基準に合わせてしまったおかげでいろいろとズレが出てきてしまっている。新暦の1月1日に「初春」とは、どう考えてもおかしい。近代化が日本文化に与えた影響は大きい。それでも文化として残っている訳であるから、しっかりと根付いているということだ。

追記&訂正:(2015.11.14)文章を訂正・加筆しました。
写真:zassouneko 撮影:2015.11月上旬
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