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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

雑草とは何だ/その4/信仰と農業と遠野物語

雑草の話から少し離れるが、「害虫の誕生」瀬戸口明久:著(2009年7月発行 ちくま書房)によると、明治に入っても農民は農産物の虫による被害を神の仕業と位置づけ、農業の近代化をはかる政府との間で争いが多発した。虫が農作物に害を及ぼさないように神仏に祈願し、虫送りを行い、畑に虫除けのお札を立てた。業を煮やした政府は公権力の行使を警官に任せて強制的に近代的な害虫駆除を働きかけていたが、頑として聞き入れない農民が1890年に暴動を起こしたこともある。「遠野物語」の柳田國男はその15年ほど前の1875年に生まれており、成長して農商務省に入り全国の農村の調査に赴いたという。その際に見聞きした事柄が柳田を「遠野物語」へと向かわせたのである。つまり前近代的な時代だからこそ、農村は得難い物語の宝庫でもあったわけだ。

現代の我々からすれば「害虫」の存在を認めないなどは正気の沙汰とは思えないが、当時はそうだったのである。昔の人を笑っている場合ではない。現在でも空から恐怖の大王が降臨するのに怯え、マヤ暦に不安を抱き、大地震の予言に右往左往しているではないか。

数年前に読んだ「害虫の誕生」と「雑草」の構造は似ているようである。この両者は近代に出来た言葉であり、それは近代社会への移行に伴って克服すべき問題点を凝縮させた言葉と概念であって、我々はそれらを排除すれば快適で清潔な生活が約束されると信じて実行した。

それらは自然との分離を意味しているので、結果、多くの人工物に囲まれた生活を選択することになる。しかし我々は新たな葛藤を自ら招いている。自然の不都合な部分は排除するが好ましいところは身近に置いておきたいと、難題とも思える欲望を抱くようになる。それを観葉植物やガーデニングといったものが引き受けている。

写真:zassouneko 「コバノセンダングサ」
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