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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ムラサキゴテン/魅惑と幻想のブランド商品

ムラサキゴテン(紫御殿)/ツユクサ科/ムラサキツユクサ属
メキシコ原産の帰化種 多年草 花期は6〜9月 学名:Tradescantia pallida 'Purpurea' 英名:パープル ハート

●「紫は高貴な色」というのは染料の値段が桁外れに高いので権力者しか手にできなかったから。

第2次大戦後にやってきたとあるが、おそらく観賞目的で輸入したのだろう。同じ属の「ムラサキツユクサ」が明治時代に北アメリカからやって来ている。日本の「ツユクサ(露草)/2015.5.31投稿」は在来種で「ツユクサ属」である。
上の写真は2枚とも「ムラサキツユクサ」、「オオムラサキツユクサ」かもしれないが違いがよくわからんのである。下の写真が「ツユクサ」である。
「紫」は何で高貴な色なのか
まず名前で?である。「ムラサキ」は分かる。葉を見れば一目瞭然だ。では「ゴテン(御殿)」とは何だ? 普段は載せない学名や英名を最初に記載したのは「ゴテン」の訳を探るためだが、何の手掛かりも見出せない。検索したページの幾つかには「紫は高貴な色で〜」と記載してあるが、それと「御殿」に何の関係があるのだろうか。しょうがない。色の歴史をたどってみるか。

「紫」が高貴な色と言われるのは、ただ単に染色が難しく高価であったことのようだ。しょうもない理由である。紀元前1600年にはフェニキア(今のシリア辺り)で、地中海から採れる貝の内臓の一部を使って紫に染める技術を発見したようだ。それがローマ人にウケたようで、カエサル(最近はシーザーとは言わんのか、フランス語だとセザール)のマント、クレオパトラの帆船の旗、キリストに掛けられた衣などで紫色が活躍した。と、同時に高貴な色という印象も強く残った。

日本でも聖徳太子が冠位十二階(604年)を定めた際に、官位においての色も決められた。最高位は濃い紫色である。使われた色をざっと挙げると、濃紫、薄紫、濃青(紺)、薄青、濃赤、薄赤、濃黄、薄黄、白、黒、グレー2種である。こんな昔でも大体の色は揃っているが緑色は無いようだ。今でも「青信号」とか「青々と茂った木々」などと表現するが、日本人は緑色を青色に含めていたと考えられる。そうなると「緑」という言葉がいつ出来たのかが気になる所 (シニフィアン、シニフィエの形成)だが、本稿には関係ないので追求しない。
聖徳太子の時代の染料は当然、自然の草木であったが、明治6年にウイーンに渡った日本人の技術者が化学染料の情報を日本に持ち帰った。その後、研究を重ね、明治30年には染色のほとんど(藍を除く)が化学染料に取って代わられたという。

色の価値も時代で変化する
「紫」が高貴な色という庶民の感覚は当時(昭和)の人にあったのだろうか。明治の初期の方がまだあっただろうし、「紫色」を使用した商品も少なく、高価だったと想像する。そんな時代なら「紫御殿」を庭に植えて高貴な雰囲気を楽しむということはあるかもしれない。しかし化学染料の「紫色」が大量に出回るようになると「高貴な御殿」という動機では消費者への訴求力は弱そうだ。まあ普通に考えれば大変珍しい色の植物である。他には「紫蘇(シソ)」が浮かぶぐらいだが、それよりは洋風の庭のアクセントとして良さそうだ。可愛らしい花も咲く。そうなると「御殿」という大仰なコピーは不適切な気がする。誰がどんな意図を持って命名したのだろうか。

記憶の中の季節感
私の中では「ツユクサ」「夏休み」「朝露」「ラジオ体操」などがセットになっているが、改めて見てみると10月に入っても「ツユクサ」の花は咲いているのである。「ツユクサ」の意外な面を見た思いだが、私の注意力が足りないということでもある。また「ムラサキゴテン」に関しても気になることが一つある。それは「こんな色をしていても光合成は出来るんだ」ということだ。葉緑素や葉緑体やクロロフィル(うろ覚えの知識を出し切ってみた)といった「緑」のイメージが「ムラサキゴテン」には全然見当たらないではないか。どうやら植物に対する私の認識はスタート位置より、あまり進んではいないようだ。
写真:zassouneko 撮影:2015年10月上旬
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