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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ツルドクダミ/その1/徳川家の命運を握る

ツルドクダミ(蔓毒痛)/タデ科/ツルドクダミ属
中国原産の帰化種 つる性の多年草 花期は8〜10月

●徳川家康は今でいえばサプリ(漢方薬)のヘビーユーザーで自ら研究し調合した薬を服用していた。
●そのためかどうか75才の長寿を全うした。歴代将軍で家康以上に長生きしたのは最後の将軍慶喜で77才だった。
●家康と慶喜を除いた歴代将軍の平均寿命は48才である。江戸時代の平均寿命は50才前後と言われているが、これは子供が幼いうちに死んでしまうことが原因(一説によると2人に1人は死んだらしい)で、それが平均寿命を押し下げている。成人(大人)してしまえば6〜70才までは普通に生きたという。

ドクダミ(毒矯み)/ドクダミ科/ドクダミ属(2015.5.25投稿)とは縁もゆかりもない植物である。「ツルドクダミ」にも薬としての効能があるので、この名になったようだが、ツルもあるし花の形も全然違うのだ。似ている所は葉っぱしかないのだが、薬効があるということが「〜ドクダミ」と名乗るのを後押したのだろう。

「ツルドクダミ」は根の部分を漢方薬として用い、それは「何首烏(かしゅう)」と呼ばれた。昔、何(か=人の名)さんという年寄りの男性がこれを服用したところ髪の毛(首は頭の意味)が黒々(烏=からす)とするほど元気になったということから「何首烏」とついたという。この辺のいきさつと最近の韓国で起こった偽薬草事件については「白首烏(はくしゅう)/韓国の偽薬草事件(2015.6.1〜2記事)」に書いたので興味があったら参考にしていただきたい。
将軍には精力剤が必要
江戸時代の享保五年(1720年)に薬草として長崎に「支那より渡来」と、ずいぶんと詳細な記録が残っている。歴史には疎いが八代将軍の徳川吉宗が暴れていたころだ。つる性の植物には珍しく「ツル」が右巻きにも左巻きにもなるという。ツル同士が絡み合っているのを夫婦和合の象徴とみなし、精力剤の効果を期待したようだ。吉宗の命令(「白首烏」の薬効を知っていたと思われる)で輸入をされたという話もあるから、公式の命令ならばこそ記録も確かなものとなる。
今よりも切実だった男子の悩み
将軍家の跡取り問題に翻弄された吉宗が強精剤の輸入を命じた気持ちは理解できるだろう。将軍の後継問題は以前より問題をはらんでいたが、やはり事件は起こった。綱吉の死後に六代将軍になった家宣と、幼くして七代将軍となった家継(家宣の子)の二人が6年あまりの間に次々と亡くなってしまったのだ。そして本家に跡取りが居らず、他家(御三家)から当主を迎えるという事態になった。誰を選んでも何かしら不満は出るだろうし、選択を誤れば幕藩体制にも亀裂が生じる。このような危機を乗り越えて将軍の座についた吉宗には「お世継ぎ問題」は最重要課題であったろう。また跡取り(後継者)の問題は将軍家のみならず大名をはじめとする武士にとっても悩みの種であったので、そのため全国の大名達はこぞって「ツルドクダミ」を栽培したという話である。ただ、期待したほどの強精効果は無かったようで、やがてブームは去り「ツルドクダミ」は静かに日本に帰化した。現代の漢方薬としての評価は便秘に穏やかに効くという効能があげられている。

生えていた場所の歴史的背景
この植物があった場所は名古屋城にも近く、昔は武家屋敷が多くあり、今では「文化の道」と呼ばれる地域である。南へ下ると、以前は「鍋屋町(なべやちょう)」と呼ばれた地域があり、いわゆる「清須越し」と呼ばれる大引っ越しで清須の「鍋屋町」の人達が住み着いた町だ。ここは鋳物を独占して取り扱ったとされ、今でも尾張藩の鋳物師頭の末裔が金物商を営んでいるという。

と、綺麗にまとめたつもりだが大問題が発生した。「つる性 白い花」という間抜けな検索ワードに「ナツユキカズラ」が突然と名乗りをあげたのだ。あー、こりゃ似ているわ。名前を取り違えたか。(ツルドクダミ/その2に続く)
写真:zassouneko 2015.10.09
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