忍者ブログ

雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

ミズヒキ/勘違いから始まった慣習

ミズヒキ(水引)/タデ科/イヌタデ(ミズヒキ)属
在来種 多年草 花期は8〜10月

●昔の中国から伝わった慣習だと言われているが、始まりは日本の誤解からである。
●「水引」とは製作方法のこと。もともとそんな風習はなかったので、日本で名前を付けたと思われる。

改めて説明するまでもないと思うが、「水引」とは目出度い席で祝儀袋や贈り物にかける紅白の紐である。大体は「熨斗(のし)」と共に用いられる。また不祝儀では黒白の紐を使う。もちろん「熨斗」はつけない。

何で「ミズヒキ」とついたか
イヌタデを細くして身の部分を隙間をあけて配置すると、この草になる。「イヌタデ」と近い種類だということがよくわかる。「水引(紐のほう)」は紅白なのに、この草は紅しかないではないかとお考えになるのは当然であろう。もう少し経つと花(4弁)が開くのだが、水平を向いて咲く花の上部(天)が紅で、下部(地)が白にくっきりと色分けられるのである。マジンガーZの「あしゅら男爵」を想像してほしい(たとえが古くてすまない。若者はググってくれ)。

「水引」の作り方
工芸品の「水引」が何故「みずひき」と呼ばれるのかというと2つの説があるようだ。まず材質が「紙」の場合(今はほとんどこれ)であるが、紙を縒(よ)って紐のようにするのだが、無理矢理ねじっているから元の形に戻ろうとする。それを水で溶いた糊で固めていたことから「ミズヒキ」となったようだ。なお「引き」は引っ張る訳ではなく、この場合は「塗る」という意味である。「油を引く(敷くではない)」や口紅をつけるのを「紅(べに)を引く」とか、また「線を引く」などの「引く」だ。

また材質が紐(こちらが最初に使われた。おそらく麻ではないかと思う。紙は後世)の場合は、フニャフニャの紐を水に入れて引っ張ったということだ。水分を含んで、いわゆる「伸びた」状態にして引っ張ったままで乾燥させれば真っ直ぐになる。その後に糊を使うのかは書いてないから不明である。
上記は庭に植えられていた「ミズヒキ」。栽培されているからだろう、勢いがいい。咲いている花が少なめなのは、花の時期を過ぎてしまったからだろう。少し残念。
「水引」の歴史
製造法はいいとして何時から始まった風習であろうか。これも幾つか説があって、小野妹子が遣唐使の役目を終えて、帰還した際の荷物に別々に赤と白の紐が付けられていたという話と、室町時代の明と貿易をしていた際の荷物にも、そのような紐が付いていたという話がある。えーと、この2つの間が700年ぐらい空いているのだが。これでは信頼性に欠ける説と言われても仕方がないだろう。その間の情報はないのか。

とにかく荷物に紅白の紐が付いていたのを見た日本人は贈り物(正規の貿易品の他に権力者への贈答品もあったと思われる)の際には、紅白の紐をつけるものだと勘違いしてしまったようだ。何故なら、もともとの紅白の紐は、ただ単に荷物の中身を簡単に区別するための目印であったからだ。こうして「水引」の習慣は広まっていった。と、いう説があるのだが、本当はどうなのだろうか。今の中国にそのような習慣(紅白の紐を結ぶ)が残っていれば、はっきりするのだが。しかしながら始まりが誤解だったとしても、ここまでのひとつの文化に成長したことは大いに評価すべきである。文化とはそういう一面もある。

紙の「紙縒り(こより)」は最初は「元結い(もとゆい)」として使われたようだ。これは江戸時代の髪型の「髷(まげ)」を結う際に、まとめた髪を一つに束ねておくのに使われた。相撲取りの髪型を見ればわかるだろう。紙が使われるようになったのは紐として使える丈夫な和紙が製造できたからである。これは長野県の飯田が最初であるという。

現在、「水引」の産地としては長野県の飯田市(7割を生産しているという)と石川県の金沢市が有名であるが、両市とも和紙の産地でもある。今の「水引」は鶴や亀などを(縁起物)をはじめとして、立体的な作品も数多く作られるようになった。飯田市には「水引美術館」もある。数十年前に旅行に行った際に飯田市を通ったことがあるが、その看板を見かけた記憶がある。もちろん何の興味もないので素通りしたが。
追記&訂正(2015.11.8)CATVで日本テレビのニュースを見ていたら、福岡の「水引アーティスト」の話題が出ていた。水引でイラストなどを表現するという。伝統とは言ってみれば固定された表現(様式)である。表現が固定されているということは、その方向性がはっきりとしているということである。水引の場合で言えば紐状のものを編んで何かを表現するということだ。このような方向性や製作のための技術、そのための高い品質の素材(紐)などが高い水準で維持されていることが、伝統というものが持つ強みである。それはそうとCATVを見ていると紙の紙縒りに糸を巻き付けた水引もあると紹介されていた。へー、そんなのもあるんだ。伝統も基礎がしっかりとしていれば、誤った方向に進むことはないだろう。もし間違ったとしたも基本に帰ればいいのである。
写真:zassouneko
PR