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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

サナエタデ/すまん、情報がない

サナエタデ(早苗蓼)/タデ科/イヌタデ属
在来種 花期は5〜10月
(注:2015.12.8/「サナエタデ」でなく「アメリカサナエタデPersicaria pensylvanica」かも知れません。「アメリカサナエタデ」は日本に帰化し、農作業の際に「駆除すべき対象である」と書いてありますが(農業関連のサイト)、肝心の 。英語のサイトを見ても内容が分からないので

名前の由来は稲の苗を水田に植える時期になると生えてくるタデの1種ということから。身近に水田や畑があり自然と共に生活している人々が多かった時代の話だ。「サナエタデ」については他にはこれといった情報は見当たらない。雑草を調べていると情報の量に極端に差があるのは、その植物が人の生活にあまり関わってこなかったことと関係がある。何とか話を膨らませようと思ったが仕方がない、タデ科の話でやりすごそう。

人は「タデ科」に随分とお世話になっている。まず同じ「イヌタデ科」の「藍(アイ)」である。そう「藍染」のアイだ。東南アジア原産で日本へは飛鳥時代に渡来している。乾燥した葉を発酵させるという技法は鎌倉時代には行われていたという説もある。「藍染」の特徴は酸化すると発色するという点だ。普通、染物は洗濯を重ねると色がおちてしまうものだが、洗濯によって酸化が進み、色が濃くなるということが、あったそうだ。「青は藍より出でて、藍よりも青し」という「出藍の誉れ(弟子が師匠を越える)」という諺?もあるくらいだ。「藍」は今では「ジャパンブルー」と呼ばれるまでになった。世界中に「藍」はあるはずなのだが、日本人が「藍」にこだわって色や表現を洗練させてきたから、今でも通用するのだろう。

「藍染」が広まったのは江戸時代の中期あたりのことだという。なぜ、それ以前に用いられなかったかといえば、衣類の生地に問題があったのだ。不思議な気がするが、まだ木綿が普及していなかったから、「藍染」も広まらなかったという。木綿の栽培が盛んになるのは室町時代後期、織田信長のいた時代からだという。つまりほとんどの衣類は麻であったので「藍染」に馴染まなかったということらしい。木綿が庶民の間にまで普及した江戸時代に「藍染」が盛んになったのである。
ところでジーンズの青も「藍」である。「藍」で染めているから虫除けになるとか蛇よけになるとか言われるが、これはどうも怪しいようだ。ジーンズは1900年には既に人口の染料を使用していたからである。それ以前はわからないが、もし効果があるのなら日本の「藍染」にも効果があるということになるが(藍の種類が違うかもしれんが)、そんな話は聞いたことがない。植物は虫の嫌がる物質や殺虫作用のある成分を作り出すことがあるので(除虫菊など)、「藍」を使っていれば、その可能性がない訳ではないのだが、蛇には効かんだろう。蛇と植物との間には利害関係は無い筈だ。蛇は草を食べない。

タデ科でもっとも身近なものは「蕎麦(ソバ)/タデ科/ソバ属」だろう。日本には5世紀の中頃には伝わっていたという。これは長野県の野尻湖の湖底から採取した花粉からわかったことだ。長野県か、今でもソバの栽培が盛んだな。「続日本記(797年)」に救荒作物(飢饉に備える)として栽培していたと書いてあるようだ。メインの食料とならなかったのは、ソバ粉になるまでの作業が面倒で、しかも収量が期待できなかったからではないか。クレープもソバ粉を使用しているが、ヨーロッパに「ソバ」が伝わったのは13世紀以降で、家畜用の飼料としていたという。なんだか勿体無いような扱いである。小麦粉と比べて、あまり興味を惹かれなかったようだ。

タデ科の話は「イヌタデ」にも書いてあるので、そちらも参考にしていただきたい。

写真:zassouneko
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