中国原産の帰化植物 多年草 30〜50cm 花期9月 漢名:石蒜(セキサン)
●根からデンプンがとれるので食用となる。ただし毒(水溶性)があるので何回か水にさらす必要がある。
帰化植物といっても稲作の伝来とともに流入したと言われているので在来種とよんでもいい。秋の彼岸(秋分の日/2015年は
9月23日/注:毎年同じではない)頃に咲くので「彼岸花」という。彼岸とは「死後の世界」で西にあり、生者は東の此岸(しがん)に住む。お彼岸の日は彼岸(夜)と此岸(昼)の力が拮抗(時間が同じ)し、両者が交流しやすい場ができているのだろう。
日本にある「ヒガンバナ」の全てが、中国から伝来した最初の1つから増えたものだという説がある。その根拠として日本の「ヒガンバナ」は全てが3倍体で種が出来にくいという(種子ができても発芽しない)。人は2本(父と母)で1組の遺伝子を持っており2倍体であるが「ヒガンバナ」は3本で1組となっている。奇数倍の染色体を持っていると繁殖が出来ないが、そこに使うエネルギーを成長にまわせるという利点がある。この原理は実用化されている。例えば淡水魚のアマゴの受精卵をお湯に浸すことで3倍体のアマゴを誕生させることができる。3倍体のアマゴは2倍体のそれより遥かに巨大になる。体長だけでも5倍近くになるので重量となると数十倍になるだろう。また種無しの果実を作る方法もこれである。
それにしても別名が多い。マンジュシャ(サ)ゲ(曼珠沙華・曼殊沙華)、ジゴクバナ(地獄花)、ユウレイバナ(幽霊花)、シビトバナ(死人花)、ステゴバナ(捨子花)、イッシセン(一枝箭)、テンガイバナ(天蓋花)、キツネノタイマツ(狐の松明)、カミソリバナ(剃刀花)などなど。曼珠沙華は仏教でいう「天空の花」という意味の言葉(サンスクリット語)に、漢字を当てはめたという。どういうわけか曼珠沙華を除くと、他は不吉な名前が大半を占める。
異名が多いのには理由がある。奈良時代より前から存在していたので、その性質はよく知られていた。球根に毒があるのだ。リコリンと呼ばれるこのアルカロイドは強力で摂り過ぎれば死に至る。人々はそれを利用して土葬だった墓が小動物に荒らされるのを防いだ。不吉な名前が多いのは墓場によく植えられたからである。毒々しい真っ赤な花が墓場に咲いている光景は不気味に見えただろう。田んぼのあぜ道に植えられているのにも理由がある。「ヒガンバナ」は根から成長を阻害する物質を分泌し、キク科の雑草の繁殖を妨げるのだ(この作用をアロレパシーという)。この物質はイネ科には影響がないので農家には都合がいい。あぜ道の土留めにもなるし、ミミズも避けるのでモグラも寄り付かなくなる。また、根をすりおろせばデンプンが取り出せる。毒(リコリン)は水溶性で何回か水にさらせば取り除くことができるので、飢饉への備えになる。良いことづくめである。こうして人々は盛んに「ヒガンバナ」の球根を植えたのである。繁殖力の乏しい「ヒガンバナ」が日本全国に広がったのはこうした理由からである。
「ヒガンバナ」という名称が一般化されたのは比較的最近のことらしい。なにしろ有用な植物であるし、目立つ植物であるから地方ごとにいろいろな名前で呼ばれていた。19世紀初めの「本草綱目啓蒙(小野蘭山)」には地方ごとの名前が50ほど載っている。
最近の「ヒガンバナ」のイメージは暗いものではなくなったようだ。町おこしにも利用されているようである。私の母などは畑と薄暗い森との境界線あたりにぽつんと咲いている「ヒガンバナ」を見て「気味が悪い」と言っていた。地方に在住の昔の人だったからこそ「ヒガンバナ」の歴史や使われ方を知っていたのだろう。花の扱いは時代によって変わるという一例である。
上の写真は公園に植えられていたもので白い花は「シロバナマンジュシャゲ」。下記の写真は開花前の状態である。やはり独特の雰囲気がある。