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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

アサガオと七夕/その1/彦星は逆玉の輿

アサガオ(朝顔)/ヒルガオ科/サツマイモ属
外来種(栽培種) 花期6〜9月 漢名:牽牛(けんご)

「アサガオ」は身近な植物で興味深いエピソードがたくさんあります。「アサガオ」自体の話は別項に載せます。まずは漢名の「牽牛」つながりで七夕の話題から。

今に伝えられる七夕の物語の最初は、六朝の梁(502〜557年)の時代に書かれた「小説(何だか変だが、これが書物の題名である)」が元になっている。それによると「天の河の東に『織女』有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の『牽牛郎』に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す(七夕/Wikipedia)」と詳しい記載がある(人名の『 』は著者加筆)。

つまり天帝の娘が年頃になっても化粧もせずに黙々と働いているのを憐れんで、牛の世話をしている実直そうな男と結婚させたのだが、仕事をしないでいちゃついているので天帝が怒り、ペナルティとして一年に一度しか合わせないようにしたと。しょうがないなあ新婚さんは、という話である。

同じくWikipediaには「(略)ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として(中略)夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである(略)」とある。牽牛の読みがわからないが多分「ケンギュウ」だろうな。みんなその名で呼んでいる。それはいいが、いつから「織姫と彦星」になったんだ。「織女と牽牛郎」はどうしたんだ。だいいち彦はどこからやって来たんだ。

最初に引っかかったのは「織女」と「牽牛郎」は本名なのかということだ。職業は「機(はた)織り女」と「牛飼」である。しばらく考えたが面倒くさくなったので本名とした。職業が名前になっている例はある。名は体を表すということだ。違うか。

「織女」はいいとして「牽牛郎」の「郎」とは何だ。「郎」と付くと、まず「野郎」が思い浮かぶので悪いイメージがあるが、意味は2つある。若い男子の美称(褒めて言う呼び方=新郎など)と、主人に仕えている人(=郎党、下郎、女郎など)の意味だ。相手は天帝の娘なのだから身分が違う。多分後者の意味ではないか。主人の娘と使用人の結婚である。逆玉の輿ってやつだな。

この身分の差に「織姫・彦星」となったヒントがある。まず機織りが上手な姫で「織姫」という表現は違和感がない。姫は身分の高い未婚の女性の意味もある。では「彦」は何なのかというと、姫=ヒメ(比売)に対してのヒコ(日子=彦)である。日子も彦も美称(褒めて言う呼び方)だ。古事記にオキツヒメやらアメノワカヒコが登場しますしね。

つまり結婚をして天帝の一族になったのだから名前も釣り合いをとって「牽牛彦(日子)」にしたが、いつの間にやら「彦(日子)」のみがクローズアップされてしまい、その結果「彦星」が定着してしまった。玉の輿に乗って出世したからかな。でも「織姫・彦星」では意味のバランスが悪くはないだろうか。片方にだけ職業が入ってるし、片方にだけ星が入っている。また「織姫・牽牛」だとケンギュウに敬称がついていないし、日本語では訓読みと音読みが対立する。そうなると「姫」は敬称として外せないので、「織姫・彦星」で解決を図ったような気がする。正解(あるかどうかは知らんが)は「織姫・牽牛彦」だろうか。

父親(天帝)を怒らしてしまった織姫(=琴座のベガ)さんは女王にはなれないだろうな。一度信用を失ってますからね。でもベガさんは遠い未来には北極星の役割をするようになるそうです。これは地球の歳差運動が原因ですが、地球から見た星座の中心で輝くわけです。

写真は北アメリカ原産の「マルバアサガオ/サツマイモ属」だと思う。でも撮影したのが昼過ぎなんだよね。「朝顔」っぽくない。
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