忍者ブログ

雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

アメリカフウロ/「風露」とは何だ?

アメリカフウロ(亜米利加風露)/フウロソウ科/フウロソウ属
北アメリカ原産の帰化植物 越年草 花期は5〜6月

「アメリカフウロ」が日本で最初に確認されたのは昭和の始め頃で、場所は京都の伏見区の深草であるとの記述を個人のブログで見つけた。飼料や貨物などに紛れての、いわゆる非意図的な侵入である。環境省の「要注意外来生物」には記載されていないので、環境に与える影響はさほど大きくないと思われる。しかし、近所で頻繁に見かける草なので、街中での繁殖には成功したようである。つまり「要注意外来生物」リストに載っていないからといって安心はできないのだ。いずれにしろ日本には生えていなかった花であるから、日本人との関わりも薄く、せいぜい「可憐な花」という陳腐な言い回しで、その存在を肯定するのが関の山だ。

「アメリカ」と付くからには日本の「フウロ」があるはずなので、調べてみると別名「フウロソウ」と呼ばれる「ゲンノショウコ」という植物であることがわかった。「ゲンノショウコ」は日本の在来種で有名な薬草でもある。漢字で書くと「現の証拠」となる。薬草の効き目を疑う病人に飲ませると、たちどころに効く。「ほら見ろ。現に効いたじゃないか。それこそが証拠だ」ということである。植物の名前にある「証拠」という言葉は、これは最近になって付いた名前ではないかと勝手に思い込んでいた。近代に移行した明治の頃に作られた日本語だろう考えていたのである。ところが遅くとも19世紀の始め、江戸の後期には「ゲンノシヤウコ」という名前で呼ばれており、便秘や下痢、食あたりなどの治療に用いられた。ちなみに「ゲンノショウコ」は「ドクダミ」「センブリ」と並ぶ、日本の三大薬草(民間薬)の一つである。
上の写真は「ゲンノショウコ」。無料画像サイトより。

では「フウロソウ」の「風露」とは何のことなのか。科名や属名にもなっているわけであるから、それこそ何か由来があるはずだ。検索すると「風=かぜ」と「露=つゆ」とある。「かぜとつゆの草」とは何のこっちゃである。数少ない情報の1つが、茶道で有名な千宗易が時の天皇から「利休居士の号」を賜ったこと(これ以降千利休となる)を祝って、禅の師匠から送られた手紙である。その最後に「風露新香隠逸花」とある。この「隠逸花」とは「菊」のことである。暗闇で花の姿が見えなくても(隠=かくれる、逸=逃す)、強い香りがその存在を感じさせることから、この名が付いた。そこに載っていた現代訳には「風」の記述が無かったので適当に訳してみることにする。「秋の夜道を歩いていると、風向きが変わったのか、ふいに菊の香りがした。姿は見えないが、脳裏にはうっすらと露に濡れた菊の花の姿が浮かぶ」。さらに言うと「花の姿(茶の真髄)は見えなくとも、茶道を行っていれば、自ずと菊(利休)の存在に気づく」ということだろう。これを信じてもらっても責任は持てない。あくまでも適当であ る。また、他の情報としては唐の詩人の李義山の作品の中に「風露凄凄秋景繁」とあったが訳が載っていないので、こちらは意味不明である。どうやら「風露」とは文学的で優雅な表現であるようだ。でも、これでは肝心の「何で風露草と呼ぶのか」という疑問の答えにはなっていない。

では学名に何か由来があるのだろうと「Geranium thunbergii Siebold ex Lindl. et Paxton」「Geranium nepa
lense Sweet subsp. thunbergii (Sieb. et Zuec.)Hara」を調べてみても、人名か地名が該当するだけである。だいたい先頭の「Geranium」の意味が見当たらない。これは今では一般的な花の名前にもなっている「ゼラニウム」のことであろうが、その意味が「学名一覧」には載っていないのだ。まさか愛称か商品名ということはあるまいな。いったい「風露草」はどこから来たのだろうか。
答えは個人のブログで見つかった。それによれば「風露」とは「風露(ふうろ)場」からきているという。この「ふうろ場」とは草刈場のことで、農家は農地とは別に、家畜の餌や肥料を作るための草を採集する場所を持っていた。そこは個人が使用する場所であったり、村の共有地だったりもする。「萱場、茅場(いずれもかやば)」と同じような意味だろう。そのような場所は今では少なくなってきているとは思うが、琵琶湖の湖畔に生える「葦」を定期的に刈っているというのは映像を見た記憶がある。つまり「風露草」とは、繁っていた草を刈り取った場所で目につく植物のことである。「露」は「つゆ」ではなく、「露出」や「暴露」の「あらわれる、さらされる」という意味だったのだ。「草が刈り取られたので地面が風にさらされるようになった場所」ということである。その言葉の響きから、てっきり文学的なものを想像していたのだが、まるで違っていた。そこにあるのは里山の風景で、農村の生活に密着した言葉だったのである。昔の人にはすぐに頭に浮かぶであろう言葉が理解しがたくなってしまった。これは普段の生活が自然から遠ざかっていることを意味している。


写真:zassouneko
PR