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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

春の七草/日本人の小さな不幸

1月の7日といえば「七草粥」であるが、あくまでも旧暦の日付でいうところの1月7日である。旧暦の1月7日は新暦では2月14日にあたる あれ、バレンタインデーと同じ日だな。それはともかく。 はあくまでも 」であって、来年(2017年)の「七草粥」は2月3日になる。日付が毎年のようにコロコロと変わるのは旧暦は「月」の満ち欠けを基本としているからだ。ついでに言うと新暦の今年の1月1日は旧暦の2月8日にあたる。つまり昔(旧暦使用時代)の元旦は今の日付よりずっと後になるということが覚えておきたいポイントである。 旧暦の行事を新暦の日付で行おうとするから体感的におかしなことになるのだ。2月の初めの気候ならば初春や早春と表現しても言い過ぎではないが、今の1月に早春というのは感覚的にも無理がある。季節感と行事を大切にする日本人には、新暦はちょっとした 混乱をもたらしている。
上の写真は「ナズナ(2015.7.1記事参照)」。最近は外来種の「ナズナ」におされて数が少なくなってきているように感じる。昔は冬の間の貴重な野菜であった。「野菜」はもともとは雑草だったのだ。

「七草粥」が庶民の間に広まったのは江戸時代の「日本歳時記(貝原益軒1688年)」あたりではないだろうか。その背景として、政治(社会)が安定し生活に余裕が生まれ、いろいろな行事を庶民が楽しむことが出来るようになったのが大きいと思う。それまでにも「春の七草」に関しては様々な書物に取り上げられてはいましたが、民間に広がることはなく、また植物の種類も書物によって違う。「日本歳時記」より後に出た「年中故事要言(蔀遊燕 編集1718年)」にも「春の七草」は載っていますが、使われる植物は地方によって変わります。考えてみれば、こうした行事の始まりは京都か江戸ですから、その場所に生えていない植物をとりあげることはないわけです。しかも季節は2月の初めですから、地方によってはまだ芽吹いていなかったり、そもそも生育していない可能性もあります。つまり「七草」の行事は草の種類が重要ではなく「七つ」という数が重要なのです。

追記&訂正(2016.1.4):3行上に「芽吹いて」という表現をしましたが、その補足を。「春の七草」は「2年草」と「多年草」のどちらかです。大まかに説明しますと「2年草」は春から夏に花を咲かせて種子をつくり、その後枯れます。その種子が秋に芽を出して、そのままある程度まで成長して冬を乗り越えて翌年に花を咲かせます。「多年草」も同じような経緯をたどりますが、「2年草」と違うのは、地面の下の同じ根から芽を出して成長するということです。「2年草」は種子ですから世代交代していますが、「多年草」は同じ個体です。考えてみれば「春の七草」は冬の最中の行事ですから、そんな時期に種から芽を出し成長する植物は多くはないでしょう。

上の写真は「ハハコグサ(2015.7.6記事参照)」で七草にでてくる「おぎょう」のことです。食べた人の感想は、細かな毛が邪魔だし、しかもマズイということです。

こういった行事にはよく見られることですが、「七草粥」の起源もはっきりとはしていません。このような行事の大半は中国から日本の宮中に入り、それから庶民へというルートをたどります。その途中でいろいろとアレンジ(ローカライズ)されます。また気をつけなければいけないのは「秋の七草」とは何の関係もないということです。「秋の七草」は一個人の感想にすぎませんから、それを無視したり異議を唱えることも自由です。そうしないのは「伝統的な日本人の美意識」という否定しがたい正論が、「秋の七草」には見え隠れしているからです。しかし、そこに絶対的で永続性のある日本の美があるとは誰も証明していないのが現状です。美術や建築物のような様式としての表現はありますが。まあ美しさや風情は数値化できませんし、美の評価や価値は個人が自由に判断すればいいのです。美術品と違って、自然の花はお金がかかるわけではないですしね。そのかわり無くなって(絶滅)しまえば二度と手に入れることはできません。

「秋の七草」は万葉集が元になっていますが、「春の七草」が現れてくるのは鎌倉時代になってからです。平安時代に「春の七草」への言及はありません。あえて、それにつながる行事を探そうとすると、「枕草子」などにでてくる「若菜摘み」がそれにあたるかもしれません。1月7日(人日の日)に野山に出かけて、若菜を摘むという行事です。ただし「七種」摘むとか、食べるといったことはなかったようです。つまり寒い冬を乗り越えて、再び訪れた春を野山の散策を通して実感しているわけです。
「七草粥」は「正月の暴飲暴食で弱った胃をいたわる」という宣伝文句を目にしたことがありますが、とんでもない説明です。行事の本質はそこではありません。また「食べる」という行為自体もさほど重要ではありません。それを「栄養が」とか「ビタミンCが」とか「胃に優しい」とか言いつのるのは野暮の極みです。冷静になっていただきたい。雑草ですよ。それが正月7日に急に力を持つはずがありません。いつもは見向きもしないのに。
上の写真は「ホトケノザ(2015.6.3記事参照)」。12月下旬に撮影しました。「春の七草」に「ホトケノザ」とあるのは「タビラコ」のことであると、言われていますが。昔の書物のいくつかには、「春の七草」として「たびらこ」「ほとけのざ」の両方が載っています。これをどう解釈するべきでしょうか。
できれば野山に出かけ、摘み草を楽しみ、春の訪れを身をもって感じるのが理想ですが、何しろ今だと1月の初旬ですからね。植物も少なく、寒さも厳しいでしょう。旧暦と新暦のズレが日本人の季節感に微妙な影響を与えています。対策としては、行事を行う際には新暦を無視して旧暦通りに執り行うのが有効です。ただスーパーに「パック入りの七草」が並ばない可能性もありますので、自分で調達する必要があります。ちょっと面倒ですが、本来の「春の七草」とは、そういったものです。

「春の七草」の残りの「セリ(芹)、ハコベラ(ハコベ)、スズナ(蕪)、スズシロ(大根)」の写真はありません。近所には生えていません。
写真:zassouneko
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