外来種(栽培種) 花期6〜9月 漢名:牽牛(けんご)
「アサガオ」は漢語で「牽牛(けんご)」と書き、その種子を「牽牛子」と呼ぶ。「牽牛子」は漢方薬の一つで下剤や利尿に効果がある。この時代の「アサガオ」は観賞用ではなく「薬」としての利用が主です。「牽牛」は牛を牽(ひ)くという意味で、牛を目的地に連れて行くということだ
。「アサガオ」が「牽牛」と呼ばれる理由はいくつかある。往診に出かけた医者が「ア
サガオの
種
」を患者に投与して治したので、その
お礼として牛
を
もらって
一
緒に帰ってき
たとか、患者がお礼に牛を持っていった
とか、この花が咲く時期になると夜空に「牽牛星(彦星)」が見えるからとか、いろいろと言われている。
「アサガオ」は外来種であるが伝来時期がはっきりとしない。8世紀中頃の「万葉集」に秋の七草の一つとして「朝貌(あさがお)」の名がでてくるが、これは今で言う「桔梗(キキョウ)」のことを指しているという意見が多い。花の季節がずれているし、園芸種と野生種を同じに扱うのはおかしいし、第一まだ伝来していないというのがその理由である。10世紀になって、書物に「牽牛子(アサガオの漢名)」の記載が見られ、「アサガオ(阿佐加保)」と呼ばれるようになったのもこの時代からのようである。いくら書物に載っているからといっても、それ以前よりそう呼ばれていた可能性を否定はできないのであるが。
奈良県明日香村に「牽牛子塚古墳」という史跡があり、斉明天皇(661年崩御)の墓である可能性が高いという。1923年に史跡指定された際にこの名前になり、読みに「あさがおつかこふん」とあるので朝顔の花を指しているのは明らかです。天皇の崩御は古事記の成立よりも50年ほど前のことなのですが、「アサガオ」が既に渡来していたという風に捉えられるおそれがあります。
興味深いことに、この古墳より少し離れた西南西の方角に本来の斉明天皇陵があり、古事記ではここに葬ったと記載があるそうです。当然ながらこちらは発掘調査はされていません。さてどちらが本当の斉明天皇陵であるのか?「牽牛子塚古墳」は直径30mほどの8角形の石造りのピラミッドの形をしており、残念ながら盗掘の被害に遭っていたそうです。グーグルマップには出ておりません。
なぜその塚が「牽牛子塚古墳」と命名されたのかが不明です。伝来していない花の名前を付けた可能性があるからです。別に名前を批難している訳ではありません。なかなか趣のある名前だと思いますが、その成り立ちが不明なのでちょっとモヤモヤした感じが残ります。
江戸時代(19世紀初め)になると朝顔のブームが幾度も起こり、数多くの品種が作られるようになりました。現在でも東京下谷の朝顔市は有名で夏の風物詩となっている。
写真は北アメリカ原産の「マルバアサガオ/サツマイモ属」かな。
参考:「Panchoの新・飛鳥路巡り」www.bell.jp/pancho/asuka-sansaku/cover2.htm