ニラ(韮)/ヒガンバナ科/ネギ属 在来種 多年草 花期8〜9月 別名:フタモジ、ミラ、コミラ
「ニラ」はいつから「ニラ」と呼ばれるようになったのか。8世紀の「古事記」「日本書紀」では「ニラ」は「コミラ」、「万葉集」では「ミラ」である。10世紀の「本草和名/深江輔仁(918年」、「倭名類聚抄/源順(934年)では「韮」は「和名古美良(コミラ)」というとある。まだ、「ニラ」は出てこない。
「大和本草/貝原益軒(1709年)」に「韭」(草冠がない=韮)の項目があるが、どう読むかは書いていない。同じ時期の「和漢三才図会/寺島良安(1712年)」にも「韭」があり、それには「にら」とフリガナがしてある。江戸時代には「ニラ」と呼ばれており、栽培もされていたのである。平安時代の900年頃でも栽培されていたという話(跡見女子学園大学/跡見群芳譜より)もある。
室町時代の辞典「下学集(かがくしゅう)/東麓破衲(とうろくはのう/人名です)」(1444年)に「ニラヒトモジ」とふりがなを振ってある漢字があった。「ニラ」の部分の漢字がiPadでは出てこない。困ったな。要は「○葱」(○は出てこない漢字)と書いて、横に「ニラヒトモジ」と書いてあるのだ。この「ヒトモジ」の部分は「葱」であるが、これは「ネギ」を昔は「キ」と一文字で読んでいたので、それが「ネギ→キ→ヒトモジ」となった。いわゆる女房言葉である。ちなみに「ニラ」は二文字なので「フタモジ」という。話が逸れたが「○葱(ニラヒトモジ)」とは「ニラ」のことだろう。この時代は「ニラ」とは呼んでいない。
駐車場の脇に咲く「ニラ」
平安時代には「ミラ」「コミラ」、室町時代は「ニラヒトモジ」、江戸時代は「ニラ」と呼ばれていたのは分かった。さて残るは鎌倉時代であるが、いったい何の資料を調べればよいのか私には見当もつかない。とりあえず「太平記」の現代語訳を見つけたので「ミラ、コミラ、ニラ、韮、韭」で検索したのだがヒットしなかった。なので残念ながらここで終了である。何か進展があったら書きたいと思います。
写真:zassouneko