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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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ルコウソウの仲間/名古屋の小さな朝顔たち

「ルコウソウ」(上の写真)撮影:9月上旬。棘のような細い葉が「ルコウソウ」のもの。中央の花の周り、6時から12時の位置にある葉は「ツユクサ」の葉です。
「マルバルコウソウ」撮影:9月下旬

●ルコウソウ(縷紅草)/ヒルガオ科/サツマイモ属
熱帯アメリカ原産の帰化種 江戸の始めに渡来 つる性の1年草 花期は8〜10月
●マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)/ヒルガオ科/サツマイモ属
熱帯アメリカ原産の帰化種 江戸の末期に渡来(詳細不明) つる性の1年草 花期は8〜10月

 この「縷紅草」という名は日本独自のものだ。なかなか趣きのある名前である。普通は花の名前は漢名(中国名)をそのまま採用したり(読みは違うが)、また参考にしたりするが、この花は熱帯アメリカ原産なので中国には生えていない。そこで日本名を新たにつけたのである。もっともこれは昔のことで、近年は外国からの新しい植物の名は現地名か学名を採用することがほとんどである。この「縷紅草」の「縷」は「糸、細々と連なる糸筋、細く途切れずに続くさま、こまごまとしたさま」の意味がある。葉っぱの形状から名付けられたことは想像に難くない。ところが「丸葉縷紅草」は葉が丸いので「縷」が意味を成さない。難儀なこっちゃ。

「ルコウソウ」が渡来した年代(寛永年間 貝原益軒「大和本草」に載っている)から推測すると家康はこの花を見てはいないが、2代目の秀忠以降の将軍は目にしたかもしれない。「マルバルコウソウ」は1850年渡来(「奇品写生」より)という記載を見つけたが、この「奇品写生」の正体が分からない。「草木奇品家雅見」という書籍はあったのだが、これは1827年刊なので年代が合わない。結局、詳しい渡来時期は分からなかった。この「マルバルコウソウ」は中部地方から西に多く帰化しているという。

おまけ「マメアサガオ(ヒルガオ科/サツマイモ属)」。北アメリカ原産で第二次大戦後に渡来。撮影:10月上旬

さて、この時代に渡来した植物は簡単には市中に出回らない。珍しいということもあるが(つまり高価でもある)、植物は貴重な薬でもあったので、幕府や大名が持つ薬草園で栽培されることになる。そこでは厳重に管理されており外へ出ることはない。中国から渡来する植物は薬効が分かっているが(分かっているから輸入するのである)、「ルコウソウ」は中国でも新顔で当然薬効は不明だ。それならば日本独自に調べるほかあるまい。同じ仲間の「アサガオ」は漢方薬の「牽牛子(けんごし)」として有名なので、「ルコウソウ」にも期待はするだろう。まあ、薬効は期待はずれでも珍しい花なので観賞用にはなる。

上の写真:見づらいと思いますが画面中央(実際はもっと広がっている)と、そこから下の一部が「ルコウソウ」です。6畳ぐらいの面積はある。
空き地で繁殖する「マルバルコウソウ」。よじ登るものがなければ横に広がる。

「ルコウソウ」が名古屋にやって来た記録は「新渡花葉図譜(1866年頃)」で見ることができる。これは尾張藩の家老の渡辺規綱が描いたもので、そこでは「ルコウソウ」を「関東から来た」としている。年号からすると幕末である。「新渡花葉図譜」で描かれる以前には名古屋に来ていたのだろうが、それでも江戸に渡来してから名古屋に来るまでには時間がかかっている。100年以上か。まだ珍しい花だったのだろう。今ではすっかり雑草化しているが。

追加&訂正(2016.10.13):文章を一部追加・訂正しました。
写真:zassouneko
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