忍者ブログ

雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


エノコログサ/名前の由来と歴史のあれこれ

エノコログサ(狗尾草)/イネ科/エノコログサ属
在来種 1年草 花期は6〜9月 別名は「猫じゃらし」「狗尾草」は中国語

数多ある雑草の中で最も知られているものの一つである。しかも、見分けのつきにくい「イネ科」にあって、誰でもが簡単に区別できるのは、その特徴ある姿形のおかげだろう。

跡見学園女子大学のHPに「跡見群芳譜」という植物のサイトがあり、それによると「源順(人名。読みは『みなもとのしたごう』)の「倭名類聚抄(934年)」に「狗尾草(これは中国語)は和名恵沼古久佐(エヌコクサ)」と呼ぶとある。日本では「狗子草(イヌコクサ)」で、中国だと「狗尾草」である。
※今、確認のために「跡見群芳譜」のサイトに行ったのだが、サーバーが見つからず接続できなかった。


「エノコロ」とは「イヌノコラ」が訛った言い方で、漢字で書くと「犬の子等」である。「子等」と複数形なのは、この植物が群れをなして生えているからで、「成犬」でなく「子犬」限定なのは「エノコログサ」が大人の犬の尻尾ほど長くないからだろう。つまり、「エノコログサ」が野原で風にそよぐ姿を、まだ幼くて体型もコロコロとした子犬達が群れて遊んでいる様子に重ねたのだ。どこかほのぼのとする名前である。

この「エノコログサ」は古来から日本人の食生活を支えてくれた「粟(アワ)」の原種だという。なので「エノコログサ」も食べることができる。今は米があり余るような状況だが、そうなったのは最近のことといっていい。「五穀豊穣」の言葉が示すように「ヒエ、アワ、キビ、ムギ、イネ、マメ」はそれぞれが大事な食料だったのだ。「おいおい、五穀ではなく6つあるじゃないか」と思われるだろうが、時代によって五穀の内容は変化したのである。臨機応変なのだ。

粟(アワ)。写真は無料画像サイトより

「稲の伝来」については盛んに議論がされているが、稲だけを持って日本にやってきたわけではないだろう。今でこそ「米は主食」であるが、昔はそうではなかったと思う。「主食」なんて言い方は最近の言葉だろう。まあ、他のものと比べて一番美味いことだけは否定しないが。だいいち稲だけを頼っていたら、不作になったらすぐに飢えてしまう。なので「アワ」や「ヒエ」などの穀類をはじめ、さまざまな植物の種を伴って海を渡ってきたのだ。その種の中には雑草も多く含まれていただろう。今あるイネ科の雑草や水田の周りに生える雑草のいくつかはそうやって海を渡ってきた子孫たちなのである。

小さな舟(船じゃないんだな)を必死で漕ぐのは真っ黒に日焼けした逞しい若者。まだ幼い子と乳飲み子を抱いた妻も同乗している。舟の後部には食料や水、植物の種が満載である。同じような舟が数隻連れだって人伝に聞いた新天地を目指す。出航してから今日で5日目。航海が長引けば死が待っている。水平線はどこまでも続いていて終わりがないように思える。だが、彼らは進むしかなく、風ひとつ吹かない海原をひたすら漕ぎ続ける。突然、子供に乳を与えていた妻が叫んだ。その指差す方に目をやると、水平線よりはるか上の空に高い山の形がぼんやりと浮かんでいる。

ロマン溢れる話じゃないかまあ、ほとんどが素人の勝手な想像なんだけどね。

写真:zassouneko
PR