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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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シバ(芝)とは何だ〜古典より/その2/2018.11.3

最初に私の意見を。「シバとは狭義では野芝(イネ科シバ属/在来種)、広義だと「イネ科の一部(特に指定はない)のことを指す」。

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これは「芝」なのか「イネ科の雑草」なのか。見当もつかない。手触りは柔らかく感じる。

古典に「しば」という言葉が初めて出てくるのは万葉集のようで、「立ちかはり古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり」とある。この時代は短期間に都があちこちに移転したため、少し前に都だった所が今では荒れ果てて草ぼうぼうになってしまったことを悲しんでいる歌なのである。ここで1点だけご注意を。歌の後半に「芝草」とあるが、原文だと「志婆草」なのだ。「芝」ではないのである。現代語訳だから仕方ないことであるが。

その次の「しば」は万葉集から200年ほど後の枕草子と新古今和歌集からである。他にも書籍はあるだろうが、当方にはデータがないので確認できなかった。枕草子も新古今和歌集も原文を確認していないが、どちらも「みちしば」という表現を使っているようだ。万葉集の「道のしばくさ」を略したのかな。若者に限らず人は言葉を略したがるものである。「文学作品に登場する植物たち」というサイトによれば、この「しば」はいずれも(万葉集も含めて)「シバ(野芝)」や「オニシバ」のことであるという(ミチシバ類と書いてある)。けれども「オニシバ」の生育場所は「海岸の砂地」なので内陸部の奈良には生えないような気がする。

さて、我々は「シバ(芝)」と聞くと「芝生」を思い浮かべるが、このイメージや価値観は近年になって西洋からきたものである。そして一面に広がる青々とした芝生というのは通常の自然界ではなかなかお目にかかれない。若草山に広がる緑は、芝と鹿との共生関係と人間の関与がなければすぐにでも消えてしまうだろう。平安の時代から今と同じ姿だった訳ではないだろうし、そもそも中世の人が「芝(野芝)」にそれほど関心があったようには思えないのだ。

現在なら緑化と称して芝や街路樹を植えたりするが、中世に緑化という概念など存在しない。自宅の庭に草花を植えることはあっても、道端に植物を植えたりはしないだろう。また、「若草」というのはさまざまな種類の植物の集合体だろうから、「芝(野芝)」1種だけをピックアップして愛でるというのは考えづらい。だから、「道の芝草」や「みちしば」は、人が植えた「シバ」ではなく、勝手に生えていたものだろうし、またそれが「芝(野芝)」を指しているとは言えないだろう。新古今和歌集の現代訳の中には「みちしば」は「路傍の雑草」としているものもある。

「しば(シバ)」と記載があっても、それが「芝(野芝)」そのものを指しているわけではないことを頭の隅にでも入れておいていただきたい。我々は西洋風の庭園の芝(外来種が多いのだが)に慣れてしまっているので、同じ感覚で中世のことを考えてしまう場合がある。そもそも在来種の「野芝」は繁殖力が弱く、奈良県における「野芝」の自生地は若草山だけだという。ここで面白い話題を一つ。「野芝」の種子の発芽率は10%ほどだが、種子が鹿に食べられて糞と一緒に排出(消化されないのである)されると発芽率がグンと上がるそうだ。

13世紀の末頃の書物に「作庭記」というのがある。日本最古(世界最古らしいが)の庭づくり(ガーデニング)の解説書のようなものである。「枯山水」という言葉を作ったのもこの書だ。ただし、この本は普通の庭作りの話ではなく、貴族や権力者向けなのでスケールが桁違いである。池を作るのはデフォのようで、それを海に見立てるか、大河と見るか、また、湖沼とするかで作庭のスタイルが違ったりする。それに伴って滝を作ったり小川を再現したりと、とにかく大掛かりなのである。

その書物の中に、木々を植えたらその下に「しばをもふせ」と記述がある(杜島を作る際の注意点の一つ。「杜島」は平坦な地面に作る小山のようなものらしい。地面を水面に見立てたのだろう)。この「しば」が「芝(野芝)」の可能性がある。この書物に出てくる植物(木は除く)を挙げると、「水草」として芦、まこも、菖蒲(菖蒲湯に浮かべる方の植物。アヤメではないので注意)、カキツバタがあり、その他に山野草、小笹、やますげ(イネ科の植物だと思ったら「ヤブラン」のことらしい。本当かな。昔と今じゃ呼び方が違うものがあるしなあ)、苔がある。

ここまで詳しく植物の指定がされているのなら、この「しば」は背の低いイネ科の総称のことではなく、「芝=野芝」そのものを指しているのかもしれない。それに「しばをもふせ」の「ふせ」は、背の高い植物ではなく低い草丈の植物に対する指示のような感じがするのだ。時代を考えず強引なのを承知で言うと、今のシバはシート状になって売られていることがあり、それをペタッと地面に張る動作は「ふせ」という表現がぴったりである。

もし、これが「芝(野芝)」を指しているのなら、この頃になって初めて他の背の低いイネ科との区別をつけるようになったといえる。つまり「芝(野芝)」に価値を見出したのである。だが、残念なことだが、上記に挙げた事柄は個人の虚しい想像でしかない。

写真:zassouneko
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