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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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ススキ/私考:なぜ「お月見」に使われるのか/その1

ススキ(薄)/イネ科/ススキ属
在来種 多年草 花期は7〜8月 別名はオバナ(尾花)

日本には季節の行事がある。よく知られているものが「節句(せっく)」だろう。1月7日の「七草の節句」に始まり「桃の節句」「菖蒲の節句」「七夕」「重陽(菊)の節句」と続く。これ以外の行事で有名なのは「お月見」と「七五三」だ。さて、あらかじめお断りしておくが、これから述べることは「お月見」に文句をつけるためではない。こういった行事のほとんどは宮中から始まり、それが武士階級に広まり、やがて庶民の側へという順番がある。そして、そこに至るまでにいろいろと変容していくのである。その変化する過程が面白いのである。

「お月見」は平安時代に唐から伝わった行事のようだ。当然、宮中で最初に行なわれた。最初は「月を見る」のが目的であったが、そこはそれ、やはり酒や肴も必要ということになる。そりゃあ月を見ているだけじゃ場がもたないわなあ。「月見」は酒を飲む口実としか思えない私はやはり俗物だろうな。さて、今の「お月見」は「ススキ」と「団子」がつきものであるが、そういったお供え物はまだ登場していない。この頃の「お月見」は純粋(?)な「観月会」であり、宗教的な意味は見当たらない。

上の写真は「日本歳時記(1688年)/貝原益軒」にある「月見」の図である。開け放った座敷で武士たちが月見をしている。右ページの一番上に月があり、やや見づらいが下の方に水面に映った月がある。武士たちはこの水面の月を見ているが、これは宮中と同じ作法である。月を直接見ないで水面に映る月を観賞するのである。画面中央の男性の前には盃らしきものが見える。そして右下の女性(若衆かもしれんが)の前にあるのは酒を注ぐ土瓶のようなものかな(名前は知らない)。ところで、女性の右上にある容器が気になっている。料理だとしたら置く場所が変である。ひょっとすると供え物なのだろうか。その辺が不明ではあるが、とりあえず「ススキ」は見当たらない。この写真は「国立天文台」のホームページにあったものだ。「ダウンロード」の設定があったので使用させていただいた。「天文台」と「日本歳時記」とは不思議な取り合わせであるが、平安の時代から今に至るまで天体の観測は行われていたのである。そんな映画があったような気がするが。

江戸時代の後期になると、この風習は庶民にも知られるようになり、そこで「月を見る」の他に「収穫の感謝」という意味が付加された。ここで宗教との関係が生まれた。神に感謝をするのであるから「お供え物」が必要である。そこで選ばれたのが「里芋」だ。他のアジアの国でも、この日に芋を供える風習があるという。中秋の名月を「芋名月」とも呼ぶ。ただ、この「収穫の感謝」はいささかフライングのような気がする。一番大切な農作物である「米」の収穫が終わっていないのだ。「早稲(わせ)種」なら刈り取りができるだろうが、全ての米がそうではないだろうし、これから台風がやって来る可能性だってあるのだ。

大鍋を使った山形の有名な「芋煮会」は、今年(2016年)は9月18日に開催された。「お月見」とほぼ同じ時期だが、個人が行う「芋煮会」は里芋の収穫をむかえる10月頃から始まるという。「お月見」と同じ里芋を使っているわけであるから、古い時代の「お供え物」の正統な継承者であると言えるだろう。なんせ「お月見」の里芋は今では「団子」に代わってしまったのだ。

(「その2」に続く)思いがけず長くなってしまった。

写真:zassouneko
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