スギナ(杉菜)/トクサ科/トクサ属 在来種 シダ植物
「最近はツクシを見かけないな」と都会人を気取ってつぶやく。記憶の中にある春の野原での「ツクシ摘み」は、どこか郷愁が漂う。だが、その場所が定かでない。どこで摘んだのだろうか。
この辺りでツクシを見かけたのは一度だけだ。山吹小学校のプールの脇に数本だけ生えているのを2年前に見つけた。翌年(2017年)の春に再び訪れてみると、その場所には雑草除けと思われるシートが貼られていた。その傍からスギナはのびていたのだがツクシはいない。やはり街中で探すのは難しそうである。
少し暖かくなった今年(2018年)の3月下旬。また、ツクシのことが頭に浮かんだが、それと同時に大変な思い違いをしていることに気づいた。世間には厄介で迷惑な雑草というものが多々あるが、スギナはその代表格の一つではないか。ドラッグストアーに置いてある除草剤から「対象はスギナ」の文字を見つけ出すのは容易い。「ツクシ誰の子スギナの子」であるから、そんな丈夫なスギナの子であるツクシが生えていないわけがないのである。「スギナあるところツクシあり」だ。
そういえば赤塚か平田町の交差点でスギナを見かけた記憶があるぞ。ということで買い物ついでに寄ってみたが、ツクシはおろかスギナさえ見つからない。記憶違いだったか。それから1週間ほど経った今日(5日)、所用で平田町の交差点を通りかかったら、スギナとツクシが生えているのを見つけた。1週間前はその気配さえなかったのに。ずいぶんと成長が早い。それも厄介な雑草と呼ばれる理由の一つだろう。
意外と大きい。記憶の中のツクシは人差し指ぐらいなのだ。2年前にも実物を見ているのに記憶の補正がされていない。記憶とは厄介なものだ。「ツクシ=郷愁=都会から消えていく自然」というステレオタイプな考えに捉えられていたようだ。
スギナは「杉菜」と書く。名前の最後に「ナ(菜)」がつく植物は食べられる。と言うより食べられるから「ナ」がついたのである。スギナは若い葉を摘んで食べるという。私は食わんけど。
写真:zassouneko