平安時代に渡来 多年草 花期は8〜10月
熱帯アジア原産で平安時代に日本に渡来したと言われていますので、おそらく遣唐使と共にやって来たと考えるのが自然です。あるサイトに「染色体が5倍体」であるという記述がありましたので、種子による繁殖が困難な草であることがわかります。「ヒガンバナ」同様、人の手によって日本各地に運ばれていったのでしょう。食べられますし手間もかからないですから。
写真は自宅の狭いベランダのプランターに植えてあるものです。今年で4年目になります。100円ショップの「ダイソー」に根っこの部分が売られていたのを手に入れました。タバコよりも細く短い根っこが2本入っており、出荷元は山形あたりの東北地方だった筈です。春か夏前に植えたと思いますが、その年は何の変化もありませんでした。次の年になると芽を出して、初めて「ミョウガ」が収穫できました。それから毎年、収穫しています。と言っても一夏で10本も採れるわけではありません。せいぜい7〜8個です。
名前については、跡見群芳譜(跡見女子大学)に「和名は、古名メガの転訛。深江輔仁『本草和名(918年)』白蘘荷(漢名)に、「和名女加」と。源順『倭名類聚抄(934年)蘘荷(漢名)に、「和名米加」と。小野蘭山『本草綱目啓蒙』11(1806)に、「蘘荷 メガ和名鈔 メウガ」と」の記載があるとしています。漢名の「蘘(文字が化けるかな)」は現代の辞書の音読みでは「ジョウ、ショウ、ソウ、ニョウ、ノウ」となります。それが「女加(メカ)」や「米加(メカ)」と呼ぶようになった経緯は不明です。その当時の中国語が「mega」という発音に近かったのか、遣唐使がそのように伝えたのかもわかりません。また「女加」や「米加」の漢字の意味を考える必要はないでしょう。これはただの発音記号と考えればいいでしょう。日本にはまだ「ひらがな」が存在していませんので。「蘘」の字は日本ではほとんど使われていないようで、検索結果の上位5件ぐらいは日本語ですが、それ以下は中国語のサイトで占められています。