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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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アレチノギクの繁栄と衰退

アレチノギク(荒地野菊)/キク科/イズハハコ属(ムカシヨモギ属)
南アメリカ原産 1〜2年草 明治中期に非意図的侵入 30〜60cm 花期5〜10月

まず名前でつまずいた。「荒地野菊」と「荒地の菊」という表記がある。どちらだろうか。「荒地野菊」と表記しているところが多いようで、そちらを採用する。また属名も以前は「ムカシヨモギ属」となっていたが「イズハハコ属」に変更されたようである。これはWikipediaの表記を参考にした。

明治時代から始まった大量侵入
観賞用とも思えないし、家畜の飼料という話も聞かない。おそらく家畜の飼料に紛れ込んでいたか貨物にくっついてやって来たのだろう。全体の印象は「ハルジオン」や「ヒメジョオン」と重なるところがあるが、それらと比べれば「アレチノギク」の葉は細く、全体の色もくすんだ緑色である。そして花を見れば一目瞭然で「アレチノギク」は花があるようには見えない。白い綿毛のようなものがわずかに頭を出している程度なので、もう花が咲き終わって種子があるようにも見える。また総苞が樽の形をしているのが特徴的である。総苞とは花びらと雄しべと雌しべと萼(がく)を含めた部分のことで、まあ花の頭にあたるところである。この総苞という言葉はキク科の植物に対して使うことが多い。そう言わない花も多いので面倒くさいのである。

名前の由来など無いに等しい。「荒地に咲く野菊」とはそのままの意味である。明治中期に侵入した帰化植物で、いつの間にか雑草として定着した。望まれての来訪(鑑賞、牧草)ではないので注目されるはずもない。つまり人との関わりがないので当然エピソードもない。

真の敵は身内にいる
昭和の初め頃に新たに「オオアレチノギク」がやって来た。こちらも非意図的侵入である。「オオ(大)」の名に恥じぬ巨体で2m近くにまで成長する。どういう訳か「アレチノギク」と勢力争いを繰り広げており、そのため「アレチノギク」は数を減らしているそうです。近い仲間だからこそ同じような環境を求めるので、場所取り争いが起こるわけです。せっかく異国の地に定着したのに、後から来た仲間に駆逐されるとは皮肉な現象ですね。
下の写真は「オオアレチノギク」か「ヒメムカシヨモギ」のいずれかだと思われますが私には判断できません。

追記&訂正:(2015.11.14)文章を一部、訂正・加筆しました。
イラスト&写真:zassouneko
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