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雑草探偵団

おっさんの雑草観察記です。花がどうとか生態がどうしたとかの科学的な興味はあまりありません。興味があるのは歴史や名前です。人との関わりや何でその名前になったのかに興味があります。その辺りを想像や仮定を交えながら書いています。個人の勝手な妄想のようなものですから、あまり信用してはいけません。また、このサイトはライブドアブログとミラーサイトになっています。何かあった時のバックアップです。

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イヌタデ/タデ科のサインはV

イヌタデ(犬蓼)/タデ科/イヌタデ属
在来種 1年草 花期は6〜10月 草丈は20〜50㎝ 別名は「赤まんま」

「タデ科」で人目を引くのは「赤い穂」だ。一目でそれと見当がつく「科」に共通する特徴である。

「イヌタデ」の「犬」は「人の役に立たない」という意味がある。「人の役に立つタデなどあるのか?」と疑問に思われるだろうが「ヤナギタデ」が役に立つのである。この植物は葉がとても辛く、香辛料になる。葉の汁と酢と調味料を混ぜると「タデ酢」になる。これが鮎の塩焼きに合うのである。

諺にいう「蓼食う虫も好き好き」の「蓼」は「ヤナギタデ」のことを指す。こんな辛い葉っぱを好んで食べる虫もいることからできた諺である。それに「爛れる( ただれる)」というのも「蓼(タデ)」が語源だということだ。辛い「ヤナギタデ」を食べた口の中の悲惨な状態を表しているのだろう。そうそう、忘れてはいけないのは「藍染」に使用される「蓼藍(たであい)」である。これも「タデ科」であり、見た目も「イヌタデ」に似ている。

忠臣蔵の舞台となった「赤穂(あこう/兵庫県)」は珍しい地名だ。読み方も独特である。長野県にも「赤穂(あかほ)」があるが、こちらは2町が合併して「赤穂町」になった際に、旧町名から1字ずつ取ってできた名前なので歴史的な背景はない。

さて、兵庫県の「赤穂(あこう)」がその名称になったのは「ヤナギタデの栽培が盛んだったから」と思っていたのだが今回改めて調べてみると、そうとも言えないようだ。名前の由来はいくつもある。
①赤米(古代米)説 ②イヌタデが多く生えていた説 ③ヤナギタデが多く生えていた説 ④土地が赤かった(辰砂=硫化水銀の鉱脈があった。水銀を精製したり染料として利用した。お椀や神社の鳥居に施された「朱塗り」はこれである)説
いずれも昔からあるもので、どれが起源でもおかしくはないが、どうやら定説となっているものはないようだ。

では「赤穂市」はどう考えているのかと思って、ホームページを閲覧しにいったのだが、こちらでも詳細は載っていない。市の花はツツジだし市の木はサクラ、市の紋章は「赤」の字を図案化したものである。これでは何も分からない。

葉にV字型の模様がある。この特徴は他のタデ科にも見られる。

じっくり見ると味のある外観をした雑草である。別名は「赤まんま(赤いご飯=赤飯)」であるが、赤というよりピンクである。葉の色は濃い緑であるがベースにエメラルドグリーンがある。明るいエメラルドグリーンを濃くしたような色だ(矛盾した表現だが)。葉の緑と実のピンクが初秋の爽やかな季節に合っている。

そんな「イヌタデ」だが仲間も多い。同じ科だけあって似ているものが多く、うまく見分けがつかないので困っている。ひときわ大きな「オオイヌタデ」「オオケタデ(オオベニタデ)」などは区別がつくが、「ヤナギタデ」や「ポントクタデ」「サナエタデ」「ハナタデ」「ハルタデ」になると見分けるのが難しそうである。だからここで「イヌタデ」としているものも、はっきりとした確信はないのである。

上の写真は「イヌタデ」に似ているが「エノキグサ(トウダイグサ科)」という植物である。少し前まで「イヌタデ」の仲間だと思い込んでいたから、「タデ科」で検索しても見つからず途方にくれていたが、そもそも「科」が違うから見つからないのも当然である。「赤い穂」ばかりに目がいくのが敗因だ。「エノキグサ」をよく見ると「イヌタデ」とは葉脈の形が違う。また、メインの葉とは別に、ハート形に似た小さな葉が茎にくっ付いている。右の写真に見える、葉の中心に白っぽい放射状の模様があるのがそれである。

色がピンクじゃない。何かな?

帰化種の「ヒメツルソバ」。変わった名前だが、これも「タデ科」である(ソバもタデ科である)。「イヌタデ」の実の部分が丸まったらこうなる。「イヌタデ」のように葉にV字型の模様が見られる。

「ミズヒキ/タデ科」。「イヌタデ」の実の部分を伸ばすとこうなる。

写真:zassouneko
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